過去の登壇者
第1回~第29回まで
第31回~第47回まで
第30回 全体トーク会
第31回 山田 義幸 「90歳の私からお伝えしたい、人生100歳時代の価値観」
第32回 東田一人 「禅とコーチングのつながり」
第33回 牛島日出男 「人間性回復運動と私 」
第34回 櫻井庸子 「Listen:聴くこと、インタビューを通じて学んだこと」
第35回 佐藤茂則 「カウンセリングと仏教」どう生きる
第36回 五木田勉「思いを形にするには」認知症の父のサポートから見えてきたこと
第37回 古賀弘徳「気が付けば我が人生ファシリテーター」
第38回 由井俊哉「起業の1on1普及活動から見えてきた『人間力』とは
第39回 吉田画泉「瞑想を初めてみよう!」3分で静かになる11分間瞑想法
第40回 全体トーク会
第41回 牛島日出男 「人間性回復運動への想い」
第42回 大村貞文 「自分史を書いてみよう」
第43回 藤井弥枝 『感情と向きあうということ』
〜母の看取り、姉との確執、息子の不登校に学ぶ〜
第44回 本間直人 『ホンマ流モチベーションの開発手法』
第45回 中村智昭 『自分強みを見つけて伸ばすことで 劣等感を克服し
その劣等感をバネにして豊なか人生を歩む 』
第46回 小野龍光 「命・お金・地位を捨てインドで出家したボウズのお話」
第47回 五木田勉 「気休めで何が悪い!」
第48回 三浦由季子 「運と縁でつくる人生 機会と場を楽しむ」
第49回 荻久保則男 「真実感覚とドキュメンタリー」
第50回 中川コーイチ 「モチベーションはどこからやってくるのか」
第51回 我妻和夫「2回目の世界一周体験と思うこと」
第52回 渡部富美子 『メンタルヘルスが組織を強くする~事件は現場で起きている~』
第53回 小野 利博 「四国88カ所霊場巡り」の旅ご案内
第54回 鈴木佳代子 「トイレットペーパーが教えてくれること」
第55回 みんなでトーク会
第56回 牛島日出男 「現在に人間性回復運動を見る」
第57回 我妻和夫 「2回目の世界一周体験と思うこと」
第58回 古賀弘徳 「カミの言うことは聞いておく」
第59回 東田一人 「積極的ネガティブのススメ」
メルマガバックナンバー
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『 自分づくりを忘れずに』2023.12.30
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自分らしくとか、あるがままにと言ってきましたが、そのような自分を創り上げることの重要さを言っているのだと、最近つくづくと感じています。
自分自身を振り返った時、果たしてこれで良いのだろうかと、自分の未熟さに考えさせられます。
先ず自己実現を図るために、何をおいても自分自身の土台をしっかりと確立させておかなければならないと考えさせられました。
それは自分がどのようなことに支えられて、どのように生きているかと言うことです。
即ち、土台づくり自分づくり人間づくりをする必要があるということです。
土台づくり、自分づくり、人間づくり」とは、自らの人間性や人間力を高めていくということだと思います。
コヴィー博士も、人間としての土台をつくり、人格(人間性、人間力)を高めていくことがWell beingな幸せの条件である、と述べて居られます。
安岡正篤氏も、人間の本質的要素(根幹)は「徳性」であり、一方、人間の属性的要素(枝葉)にあたるのが「才能」や「技能」であると言われています。
「徳性」とは、「人間性」「人格」ということだと思います。これこそが、人間の根幹をなすものであると思います。
最近の人達は、才能や技能を開発することには多くの時間とお金を投入しながら、人間の根幹である人間性(人格、徳性)を養うことをおろそかにしているのではないでしょうか。
これを樹木にたとえるなら、根や幹を養うことなく枝葉ばかりを茂らせようとしているのと同じだと思います。
これでは樹木は、一時的に枝葉が茂ることはあっても長続きはしません。
大地に根を深く張り、幹を太く養ってこそ枝葉は長きにわたって茂り続け、
本物の果実を豊かに実らせるのだと思います。
同様に私達も、人間としての根幹(土台)を養い、人間性を高めていくことによってこそ、才能を豊かに花開かせ技能やスキルを真に活かすことができ、それらを永続的な幸せにつなげていくことができるのです。
もちろん、技能やスキルも大切です。これらが不要というわけではありません。
しかしこれらは、一次的なもの(第一の要素)ではなく、二次的なものです。
成功するうえでは、テクニックや戦略やプラス思考が必要であることは否定しませんが何よりもまず、第一とすべきは人格(人間性、徳性)だということです。
東洋の人物学でも、徳(人間性)と才(才能)のどちらに比重があるかをとても重視しています。
徳が才より勝っている人のことを「君子(くんし)」と呼びます。
これを目指す「人間像」としています。
君子とは、その人の中の比重を見たときに、[徳 > 才]になっている人です。一方、才が徳より勝っている人のことを「小人(しょうじん)」と呼んでいます。
つまり小人とは、その人の中の比重を見たときに、[徳 < 才]になっている人を言うのです。
どんなに大きな才があっても、才が徳より勝っている人間は小人であり、その才のゆえに利己的・排他的になってしまい、事を成し遂げることができない。
まず人間性(徳性、人格)を高め、人間としての土台をしっかり作ることこそ大切なのだと思います。
そしてその「人間性の土台」の上にこそ、「才能」は豊かに花開き、永続的な幸せをもたらしてくれるのです。人間性回復運動はそこを目指しております。
来る年も自分づくりを忘れず最高の歳にしてまいりましょう。
今年はいろいろとお世話になりました。来る年も宜しくお願い致します。
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『 苦言こそ人を活かす』2023.12.23
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ここの処、反省するばかりです。今まで自分の夢を追い求めて必死にやって来ました。
その過程で私は大事なことを見落としていた様です。
家内からよく、「怒らないでね」と前置きして言われることが有りました。
私は自分に都合のよい事しか聞かず自分勝手に自分が正しいと思い込み、自分に都合の悪いことは聞こう
ともしなかったのだと思います。
「ドント・シュート・ザ・メッセンジャー」・・・貴重な情報をもたらしてくれる方を怒鳴りつけたりする様では、本当
に必要な情報を手にすることは出来ないのです。とにかく怒らないで聴くことなのです。
必要なのは自分に都合い情報ではなく、正確な情報なのです。
自分にとって聞き心地の悪い情報だってあるのは当然です。
私がいろいろな起業を試みるとき、必ずそこにあったのは他の会社がどうかとか、資金がどれ程懸るのか
より私自身の中に生じてくる心理的な抵抗でした。
人がどう言おうがやるのは俺だ、余計なことを言うなと言う自信過剰な自惚れと、そうかなあ・・・本当に
大丈夫かなと言う一抹の不安との葛藤でした。
当時その様な私に忠告をしてくれ、アドバイスをして下さる方も居ましたが私はそれらを聞こうともしません
でした。
そうして「反逆児は常に逆境にあり」という誰の言葉か知りませんが、その言葉を自分好みで思い込み、
敢えて反逆児ぶって突っ走ってきたのです。
確かに逆境を打ち破る力も必要でしょう。しかし、その時私がもっと周りの情報を正確に集めていたら、
もっと今とは違った自分があったのかもしれません。
今になってそんなことをしきりと反省している自分があるのも事実です。
今まで「もうダメだ」と思ったことがどれ程あったでしょう。
その中を今日まで無我夢中で生きてきたような気がします。
その一つ一つを頑張り打ち破って来た結果、確かに私は何かの力を得てきました。
結果として今の私があるのも事実でしょう。ただ今思うのは、人って自分の力だけで、何かが出来るの
ではないのではないと言うことです。どの様な些細な事でも必ず人の支えがあると言うことです。
勿論何かをやろうとするとき「できっこない。無理だよ」などとの思いがあっては前に進むことも出来ない
でしょうが、自分一人の力じゃやいと言う気持ちが、常にその成就には欠かせないことだと思います。
何事にも、その時々の私を信じて呉れて、言いづらい事でも率直に言ってくれる人正確な情報を提供し
て下さる人が居てこそ、迷わず前に進むことが出来るのだと思って居ます。
いつも私がちょっと行き詰まった時、私が少々立ち止まった時、「怒らないでね」と言って言いづらいこと
でもはっきり言ってくれる家内からの、思いがけない情報を得ることが多々ございます。
私は今でも、これまでやったのだからと言うことから、ももうここまでだと言う限界を感じたことはありません。
ただ今までは、自分勝手な自惚れに過ぎなかったように思います。
これからは多くの方の想いやご指摘を得ながら本当に人が人として生きていくことに自信を持って、取り
組んでいける未来への願望を構築しながら着実に一歩一歩進んでいこうと思って居ます。
「怒らないでね」と言う87歳を超えた妻の提言を率直に聴き、新たな気持ちで、「人間性回復運動」を
さらに展開していこうと思って居ます。ご支援をお願いします。
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今週のキーワード 『自分を変える 』12.16
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毎年、この時期になりますと、寂しいことですが多くの方から喪中の知らせを戴きます。
「えっ、彼もか!」とびっくりさせられることもあります。
ご無沙汰していたばっかりに、お亡くなりになっていたことも知らず無念に思うことも多々です。
この歳になると、このような喪中の知らせを頂くと自分のことに思いが走ります。
生きて来た、この自分の人生をこれで良かったのかな?
変えなくちゃならないことも、有ったんじゃないかと反省させられます。
自分の人生を変えるとは、更に自分の成長を図ろうとすることです。
良く聞くことですが、そう簡単に人生を変えるなんてことはできない、それこそ何年も掛けて修行してこそ変わるものだという人が多いものです。
そんな人に限って、いつになっても何にも変わって見えないものです。
変わるということは、自分がそう思いそう決断した時からその瞬間から変えられるものです。
自分が真剣に生きて来て、変えなくちゃならないなと思うことなのですから、いい加減なことではないのです。変えなくちゃ自分の人生に、自分自身が納得いかないから変えようとするのです。
何年もかかるという人は、切実にそう感じていないからだと思います。
またそれ程真剣に、生きてきたのではないのかもしれません。
だから、自分自身の腹が決まらないのだと思います。
ただどのような決意でも、一過性のものでは変化は起きません。
自分の変えようとする決意を、「持続する」ことが必要です。
私は自分を誰よりも愛しています。
この様な自分を、あるがままに受け入れ愛していればこそ自分の人生を大切にしたいのです。
そうして生きるその時々に、いろいろと気付かされることがあります。
他人に対してどれ程真剣に関わっていたのか?
どれ程率直に他人を受容することができていたのか?
どれ程自分自身を成長させることができていたのか?
そうして、その自分をあるがままに理解できるのも自分なのです。
そうして更に、自分を愛し続けたいと思うのも自分なのです。
だからこそ自分の人生を、心から考え真剣に変えようと決断もできるし、継続もできるのです。
そこに本来の自分を見ることができると思います。
そこに自分の人生の目的が、はっきりしてきてこの一瞬一瞬を精一杯に生きようとする決意が高まっていくのだと思います。
人間性回復運動は、自分を愛し自分を大切にし、自分を生き抜くために変化することを恐れず行動する力を継続する自らの人生行路なのです。
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今週のキーワード 『 思いのままに、自然に生きましょう』12.8
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ある会合で、貴方はどのように今まで生きてこられたのですか?と問われました。
人生とは、人それぞれの生き方によって創られていくものだと思いますので、率直にお答えしました。
その表現にもいろいろあると思いますが、
私は一直線に進んで来ました。考えると何となく、猪突猛進してきたような人生でした。
大したことは出来なかったが、やりたいことはやってきたな思えるような人生でした。
それぞれにその人の思いがあり、人生があるのだと思います。
私はどんなことからも、逃げてはいけないと思って生きて来ました。
どんなことにも、真正面から対峙して行けば必ず道は開けるものなのだと思って進んで
来ました。
それだけに、いい加減な気持ちじゃ困難には立ち向かえないと思ってきました。
その様な気持ちで立ち向かっていくと、不思議といろんな道が閃いてくるのでした。
私はどんなときにも、躊躇することなくそのひらめきを受け入れ突き進んで来ました。
若しそれが失敗したら、今それは私に求められているものじゃなかったのだと、次の手を
考えてチャレンジして来ました。
次の機会を待つのではなく、その事がうまく行かなかったことを周りの人に語りかけて
行きました。
其の内に、必ずその事を共鳴してくれる人が現れて来てそうして新しい知恵や力を与えて
くれました。
当然自分も変わって行きました。
どんなことでも、自分一人でガムシャラにするのではなく、多くの人の知恵や力を頂いて
来ました。
人が成功するかしないかは、どれだけ多くの人に真剣に関わって来たかに依るのではないかと思います。
先日小田急トラベルの企画でバス旅行を楽しんできました。
隣の席に座り合わせた老婆と話していましたら、その老婆が再三小田急トラブルでね、と
仰います。先日の小田急トラベルで富士5湖に行った時と言われたので、余りおかしかったので、お婆さんそれはトラブルじゃなくて、トラベルでしょうと申しましたらその婆はあぁうなの?トラベルとトラブルは違うのだね。と大笑いをなされました。
その時ふと、こんな気がしました。いや同じかも知れないなあ・・・。
こうして旅している時、ただただ淡々と進むより何か思いがけないトラブルに巻き込まれた方が楽しいかもしれませんね。と申し上げました。
その老婆が「そうね、私の人生もそうでしたよ」と、長い人生の出来事をお話して下さい
ました。
「そうして、今こうして旅を楽しんでいます、もうすぐお迎えもあるでしょう。」といとも楽しげでした。
人生って、無難に無難にと生きようとするのではなく精いっぱい自らの信じる道を進むことなのだと、その老婆に教わった気がいたしました。
人生って、みんなその時々に頑張っていると思います。
その老婆から「大変だったけど、決して逃げないで、今日まで頑張り通して来て、今やっとこうしてみなさん達と同じように旅を楽しめるようになりました」と言われまた。
いろんな苦労を乗り越えながら、ただひたすら頑張り続けて来て齢80を越え今こうして旅を楽しんでいるという老婆が、自らの立場や家業から逃げることなく妥協することなく自分が当然と思うことを当たり前としてやって来られたのだ。
人生に対する真剣な気持ちと、家業に対する熱い情熱が、今を創り上げたのだと頭が下がる思いがしました。
人間性回復運動は、決して難しいことを学ぶのではなく人として当然なことを自然と行い、お互いが人間として今あることに、感動し慶びを共有することなのかなと新たな思いを得ました。
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今週のキーワード 『自然の力に即した人生』12.2
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庭窓の簾代わりにしていた朝顔が、日ごとに花数が減らしてきていつの間にか全く開かなくなっていました。
今年は猛暑のために朝晩水やりをしていました。それに応えるように、咲き誇ってくれていました。
でも季節は争えないものなのでしょうね。何ごとにも、時というものがあるようです。
それは人の力ではどうすることもできない、目に見えない大自然の力が働いているように思われます。
朝顔のつたに、来春もお願いねと枯れ種が沢山連なっていました。
この時季にも、草花も休むことなくきっと来春の開花に備え、エネルギーを種に残して静かに散っていくのですね。
人も決して休むことなく、次の時が到来することを信じ、いまの自分に出来ることに全力投球していくことが、大切なのではないかと思っています。
休むことなく、と申しましたが次に備えてエネルギーを蓄えるのは休んでいるのとは違いますでしょう。
そこにとどまることなく、毎日毎日を真剣に生きていくことなのです。一所懸命行動することです。
その行動と成果の中に、喜びという休息があるのではないでしょうか。
その喜びの中に、私たちは自らの天命を感じるようになっていくのだと思います。
それは決して苦しいものではなく、自らの目標をきっと達成できるという確信と楽しさを感じる時だと思います。
人生とは、楽しいものです。
神という存在を信じるなら、私の信じる神が私を不幸にしようなどと思われるはずはないと思います。
だから私は、人生は楽しいものであると信じて行動しています。
私たちの人生において、全てがきちんと揃えられており、整然と整っているはずはないと思います。
私たちに出来る事は、まだ見ぬ未来に対して「プラス思考」で行動することだけです。
確かに不安もあり、過去にとらわれ万一という恐れもあるかもしれません。
しかしそれらは、今の私たちの行動には不必要なことです。
過ぎたことや、未だ見ぬ未来のことに惑わされることなく 「先ず行動すること」のみが、私達が喜びの人生を過ごす唯一の「自然の力」に則した生き方だと思います。
何かしようとするとき、年齢など関係ありません。
何故ならこの宇宙、何億何千万年の歩みの中で私たちの一生など塵にも等しい存在です。
だったら行動を起こすに当たって、年齢など関係ないことです。
今自分がそう思いそう感じた時こそ、その時だと思います。
人生とは、自分にとって価値ある目標を日々達成し続けるためのプロセスだと思います。
そのプロセスこそ、今を生きる標であり、人の生きる目的です。
その目的に到達するために、私たちは生涯そのプロセスで学び生きる価値を体得していくのだと思います。
学び続ける限り、人々は若々しくあり充実していくものです。
二度とない人生を、精いっぱい生き、今日に学び今日を真剣に生き抜きましょう。
人間性回復運動は、お互いが今を信じ、お互いが力になり合い、勇気と知恵を持ってお互いの人生を、勇気をもって生き抜くそれぞれの人生行路なのです。
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今週のキーワード 『自分で作った枠は自分で広げましょう』11.25
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ある短歌の会でのことです。
友人の付き添いとして来られた、50代の女性の方が師匠に勧められた時、「私にはできません。私には無理です。」と答えが返ってきました。
「なんでやってみようとしないの?」と師匠が問われたら、私にはそんな能力はないのです。と返って来ました。
私たちは生きてくる過程で、いろいろなことを体験して来ます。その体験の中で上手くいかなかったこと、悔しい思いをしたことはあったでしょう。
だから出来ないと、自分の限界を作ってしまうのでなないでしょうか。
自分でそう思い込んでしまい、その様な自分になってしまうようです。
人は自分で自分の限界を作り、自らの成長を否定しているように思います。
また人との関係においても、自分にはあの人は理解できないとか性分が合わないと決めつけている人が多いようです。
そのようにして、自分を狭い枠の中に追い込んでしまってはいないでしょうか。
このような限界と言うか枠は、誰が決めたものでもなく自分自身が作りだしているものです。
ですから他人から見たら、自分勝手な人だなとか思い込みの強い人だなと映ってしまうのではないでしょうか。
対人関係においても、ビジネスの社会においてもその人自身にとってもこの様な枠とか思い込みの強い独善的な人は、中々成長し辛いのではないかと思います。
また人との関わりにおいても、深刻に考えすぎて関係をわざわざ悪くしている人がいます。
私達は一人の人を理解するのですから、笑いごとで茶化しながらでは関係は深められないと思います。
人間を理解し、更に他者と信頼の関係を作り上げるのはいい加減なことではないと思います。
それこそ真剣さが必要なのではないでしょうか。
真剣さには、深刻さはありません。
真剣に関わっている時に、相手を受け入れたい相手に受け入れてもらいたいと言う相互の気持ちが働いていますので、そこには「暗い深刻さ」はありません。
相互に相手を明るく見つめているのだと思います。
そう考えますと、対人関係において深刻に考え込んでいる人はそれほど真剣に、お互いを受け入れ理解しようとはしていないのではないでしょうか。
将棋の升田名人が「勝負は、その勝負の前についている」と言われていたことを思い出しますが、対人関係に於いても同じだと思います。
相手を真に理解し受け入れようとする人は、常に対人関係において、より良き関係づくりをなし得ている人だと思います。
またインド独立の父マホトマ・ガンジーは、言っています。
「弱い者ほど、決して相手を許すことができない。許すということは、強さの証だから」と。
人との関係において、許すとか許さないは適切な言葉ではないと思いますが、私は許すとは、「受容する」ということだと思います。
受容するとは、相手を信頼し心底から受け入れ愛することだと思います。
人間性回復運動に於いては、自分が気付かないで作り上げている枠組みに気づきメンバー相互に、真剣に関わり合い、真の信頼関係を作り上げることなのです。
自ら作り上げた自らの枠は、自ら広げていかなければ、広がるものではないのです。
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今週のキーワード 『自分の幸せは中程に、残りは他人のために』11.18
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株取り引を始めた中学生の頃、こんなことを言われたことがあります。
「高値を狙って、もっと騰がる!もっと騰がると!自分がその値上がりによる利益の全てを得ようと思ったら駄目だよ。他の人にも利益を得られるチャンスを与えるように自分はここらでと、他人の分を残すことが株取引の極意だよ」
私はそのことが心に残っていて、幸せをトコトン自分のために追求するのではなく、半分は他人のために尽くそうと思って生きてきました。
稍々もすると、人って自分の幸せだけを追い求めて仕舞う傾向があるようです。
自分の幸せにのみに執着していると、他人が見えなくなります。
自分が幸せだからと思ってやっていることが他人を、苦しめたり嫌にさせていることが有るかもしれません。他人の幸せのために夢中になっているとき、そんな自分が凄く幸せだなと感じるときがあります。それこそ自分の幸せだと私は思っています。
ただ他人の幸せのためと思っていても、自分を殺したり犠牲にしていては決して他人を
幸せにもしていないし、他人のためにもなっていないのだと思います。
先日宇宙飛行士の毛利さんの話を聞いていたら、『宇宙と私達は、一体なのですよ。自分
の国が汚染されてくると、人間が作った境界はあるが自然には境がないのだから世界が
汚染されて地球が汚染されてくるのです。ということは宇宙が汚染されているのです。
自分の事だけ、と思っていることが皆宇宙とのつながりにあるのです』という様なことでした。
そう思うと、他人など存在しないのです。世界中は一つなのです。
それを、それぞれの国に分けてみているためにいろんなことが起きて来ているように思うのです。他人に対する誤解や憎しみ、他国との争い世界不安等々みんな自分と一体なのだ
と思うと、その様なことも解消してしまいます。
何事も自分が、そのことを第三者的に見ていると、不安や怒り、不満や不平、が生じてくるのです。そのことが自分の中のこととして感じていれば、もっと違った形として目に映ってくるのではないでしょうか。
人を第三者的に眺めていると、嫌な奴だとか憎しみなどを感じるのです。
本当に心から愛した人、その人は常にあなたの中に想いの中に体全体で感じられませんか。
そのこと自体が、私は一体なのだと思っています。
私たちは、人を愛し、人を憎み、人を羨み、人に泣きます。
それは私たちが、そのようにその人を感じるからです。
そうして感じるのは、その人ではなく自分自身なのです。
人を理解するということは、自分自身を知るということであり、人を愛するということは、自分自身を愛するということです。他人の幸せを祈ることは、自分自身の幸せを祈っているのです。
自分のことだけに思いを走らせることは、自分の半分の存在しか見ていないのです。
全存在としての自分を見ることができたとき、心から他者に対する愛情も感じることができるのだと思います。
人間性回復運動は、人に対する積極的な関心と積極的な行動から、他者との共感的理解を図り、お互いの存在をともに喜び合える関係を創り上げていくのです。
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今週のキーワード 『自分を生かしきるとは』11.11
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Kさん、お便り有難うございました。いつもメルマガを楽しみにしていてくださるとのこと、心より嬉しく感謝いたします。
お便りの中にございました、「自分を生かしきる」とのことに対して今回は私なりに考えさせて頂き、メルマガの主題とさせて頂きました。
「自分を生かしきる」とは一言で言えば、自分を偽ることなく正々堂々と生きることだと思います。
人は誰でも、自分が一番可愛いでしょうし一番大切にしたいと思っていると思います。
だから自分を守ろうともするし、人と言い争ったりするのだと思います。
そういう自分であることをしっかりと認識し、その様な自分を素直に受け容れている人があるがままに生きているのではないかと思います。
そういう自分であることを理解していれば、敢えて自分を守ろうとする必要もなく、争う必要もないと思うのです。
人は、誰だって不幸になりたいなんて思ってなど居りませんよね。幸せでありたいのです。
その幸せって自分でつくり上げたものでしょうか?
いろんな物に恵まれている人、お金も一杯ある人、それらだって作って下さった方が居られますし、売ってくださった方、買って下さった方必ず相手があるのです。
多くの人に認められている方も、認めてくださる多くの方がいるのです。
全て自分一人じゃないのです。そう思いますと幸せって人から、人びとから世の中から頂いているものじゃないでしょうか。
頂けば、必ず私たちはお返しをしたくなりますよね。そのお返しをすることによって、また感謝され喜びが与えられます。
その様に周りの方にも、あるがままの私を受け容れて頂き、幸せを感じて生きている時、本当に自分を生きているなと思います。
また「自分を生かしきる」ということで、ただ今を生きているということだけじゃなく、自分の夢を追い求めていくことも大切じゃないかと思います。
その夢とは、自分がこの世にあることの価値でありその価値を追求することでもあると思うのです。夢には限りはございません。
自分には無理だとか、相応しくないなどと思い煩うことこそ、自分を殺してしまうのではないかと思います。
自分を信じ、自分を愛せる人こそ、他人をも信じ愛せる人だと思います。
その様な時に、人は自分を生かしきっているのではないでしょうか。
人間性回復運動は、周りの一人一人に生かされていることに感謝しその様な自分を心から愛し大切にする、自分自身の人生行路なのです。
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今週のキーワード 『自分が変わることで周りも変わる』11.4
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ここのところ体調を崩し、床についていましたが今日久しぶりに起きだしてゆっくり
と散歩をしてみました。そこで大きなことに気づきました。
何らかの用事があって出かけ、急いで通り過ぎていた道をゆっくりと歩いてみました。
周りを見渡しながら、俺が居るぞと言わんばかりに胸を張って堂々と歩いてみました。
大橋卓弥さんの<はじまりの歌>に有った様に、それだけで景色が違って見えました。
如何に日頃の忙しさの中で、私は多くのことを見逃していたのか、また多くのことを
失っていたのではないかと気付かされました。
気持ちの持ち様で、こんなに違って見えるのか・・・。またゆったりと自然を見つめ
ると、こんなに多くのことを教えられるものだと改めて感じました。
全てが鏡のように、写す自分によって変わってくるのですね。
真正面から見た顔、斜に構えて写した顔、バックにいろいろなものを置いて写した自分
の姿がみんな違って見えます。
その顔、その姿から感じるものも違います。鏡を変えてみても写っている私は同じです。
写る自分を変えるのは、自分自身が変わらなければならないのだと思いました。
人生って、自分が知らないことをいろいろとその時々の気持ちで、その時々の自分の
姿から、教えられるものなのですね。
そうして知らされたこと、気づかせてくれたことは自分にとって嬉しいことばかりでは
なく、厳しい耐え難いような気持にさせられることもあります。
そんなこと全てが、本当の自分に気付く価値あることなのだと思いました。
世の中のことは、全て「斯くあるべき」だと言うもは無いのだと思いました。
その時々において、変わってくると思います。
今まで経験したことがないことにぶつかると、抵抗したり否定したくなります。
しかしそれは、自分の価値に沿った生き方ではなかったり、自分の信条に反していたから
ではないでしょうか。
人生には、斯くあるべきだと言うものはございません。
何故なら人生から、ああしろこうしろ等と言われるものではなくまたテクニックでもない
からです。
今を生きている一人ひとりが、自らの体験からつかみ取るものであり一人ひとりの信念に
基づくものであるからです。
一人ひとりが身をもって掴み取るためには、お互いを信じ合い助け合って今まで見失って
居たことの中から、確信を持って再度掴み取るものなのです。
人間性回復運動は言葉通り、人と人との偽りのない心からの通じ合いをもとに自然な関わり
の内に自らの人生をリフレッシュし、生きる力を得ることです。
人間が信頼し支え合って行くことによって、いかに偉大な力を発揮することが出来るかを
自ら体験していく人生行路なのです。
「雄々しくあれ、心を強くせよ」と言う言葉が心に響いてきました。
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今週のキーワード 『不可能なことなんかないよ』10.28
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世の中には、やらなければならないことがいっぱいあるものですね。
人として生まれてきて、自分がやろうとすることを成し遂げることが私は人生だと思っています。
≪人は何のために生きるのか≫と問う人がいますが、私は生きているが故に、生きているのだと思っています。 人はその存在を問うまでもなく、その存在に意義があるのだと思っています。
いつ生命が絶えるか、誰にも分からないのが人生だと思います。
ですから、生きているその瞬間・瞬間が貴重であり意義があるのだと思います。
ただ漫然と何することもなく過ごすのも、その人の生き方かもしれません。
人生に、不安と不満を持ちながら生きている人も多いでしょう。
それらの不平不満は、自分の存在を強く意識していないから、生じてくるのではないでしょうか。
自らの存在を認めることが出来る人は、そこにはっきりと自らの意識が働き、自らの存在を意義あるものにしようとする“想い”があるからだと思います。
そうすることによって、その“想い”を達成し、ようとするエネルギー(活力)が生じて来るのです。
人の生きる力は、他から与えられるものではありません。
自ら何かを成し遂げようとする、自らの強力な決意から生じてくるものだと思います。
ですから人生において、不可能なことは無いのです。
如何に優れた才能を持ち、恵まれた環境に置かれても自らしようと意欲、決意に欠けていたら何一つ達成する事は出来ません。
自ら成し遂げようとする、情熱を持ち続けることさえできれば人には必ずチャンスは訪れるものです。
チャンスは、自ら求め達成しようとする意志に乏しく、諦めてしまうような人には決して訪れないものです。
人が何事かを達成しようと思うなら、必要なものは才能や資質ではないのです。
自ら成し遂げようとする強靭な意志と決断を持って行動する人こそ、何事でも達成できる人なのです。
人が何か行動を起こそうとする時、一番の障害となるのは決して他にあるのではありません。
他からの支援が期待できない、状況が悪い、資金が不足しているとか、そんな事は皆言い訳にしか過ぎないのです。
自分の行動の最大の障害は、自分自身なのです。
いろんな事が心配になるのは、本人が自ら行動を起こしていないからです。
自らを信じ自ら決然とした態度行動を伴って行っていけば、人生に不可能などという言葉は不必要な言葉なのです。
人が何ごとかを成し遂げるかどうかは才能とか、上司とか、友人とかによって為されるのではありません。
自ら決断を下し、その決断を自ら確信して行動するかどうかです。
人間性回復運動は、自らの可能性を信じ、自らの人生を掛けて、達成すべきものを見極め、その達成のため行動する「自分自身の人生行路」なのです。
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今週のキーワード 『時間は自分のものです』10.21
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最近よく躓いたり、転んだりすることが多くなってきました。
妻から、歳なのだから気を付けてよと、言われてしまいます。
そう言われてみますと、少年時代は早く大人になり、あれもこれもやってみたいと思っておりました。
そのころは、大人になるまでの時間が、何と長いのだろうと思われていたものです。
思いが行動に結びついて居なかったのではないかと思います。
将来に向かって、思いを高める時だったからだと今は思います。
会社の経営を行い、年度の目標を立てその達成に夢中になっている時の一年の如何に短かったか、今しなければならないことも無く、のんびりと読書やパソコンに向かっていると何と時間の長いことと思われます。
時間とは、その時その時にその事に打ち込む、こちらの姿勢と行動によって、長くなったり短くなったりするもののようです。
その時間を自分のものと思えば、ひと時も無駄にはしたくはなくなってくるものです。
毎日毎日を如何に充実させ、その時間を過ごしているかによって、時間は生きてくるものなのです。
今自分のやっていることが、どれ程自分にとって価値あるものであるか、自分の思いに沿って居るものであるかによって、そのことへの打ち込み度が変わってくるものです。
また毎日同じことを繰り返していると、何となく “進歩がないな~”と思うこともあるようですが、しかしそうでしょうか・・・無意識の内に行っていることが、私たちの命の源になっていることもあるのです。
極端な例かも知れませんが、呼吸です。
意識せずに行っていることが生命の維持に最も重要な役割を果たしているのです。
座禅を組み呼吸に意識を集中してみると、その有り難さをつくづくと感じるものです。
単純に毎日繰り返していることが、重要なことだっていっぱい有るのです。時にはその事を、意識して行って見ましょう。きっと、はかり知れない大きな力を見出すことでしょう。
また継続は力なりと言うことを、私たちは良く口にします。
確かに一度やろうとしたことも、時間と共に忘れ去ることもあります。
一度に大きな変革を求めても、すぐ変革が起きるとは限りません。
それどころか反発が大きく打ち消されてしまうことが多いものです。
だが小さなことでも、継続する限り必ず大きな力となってくるものです。
その時「継続は力」から、「継続は宝」と変わってくるものだと思います。
私たちにとって、時間は宝です。
その宝を宝として輝かすも、私たちが自分の宝としてそれを生かすかどうかです。
時間は自分自身のものです。
自分がどれ程意識して生かそうとするか、によって短くも長くもなってくるものです。
一度の人生、貴重な自分の時間を生かし切りましょう。
人間性回復運動は、自分の時間を生かし真剣に自分を生きる自らの人生そのものなのです。
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今週のキーワード 『変化することを恐れて』10.14
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90歳になり自分では意識しなかったが、妻から見たときに、いろんな変化が見えたそうです。
人は、生きている限り成長はあるものだと思っていましたが、私自身成長が止まったのだろうか・・・?と不安になりました。
以前の貴方は、このようなことは少しも気になさらなかったのに、最近口煩くなられたようですよ!と言われ、ホッとしました。成長が止まっていたのではなく変化していたのでした。
常に変わっていく状況に、その時々の問題に、その時々の人の心に対応して行くことが一番大切なことではないかと思います。
今この時が大切とはいっても、今現在の私たちは、皆それぞれの過去を背負っています。
その過去を否定してしまったら、今まで生きて来た自分すら否定してしまう事になってしまいます。
新しいものを引き継いでいく時、私たちは過去を忘れてはいけないと思います。
ただ問題なのは、過去を振り返ることも大切ですが、その過去にこだわり過ぎることなのです。
現在を無視し、変わっていく現在に背を向けていては進歩はありません。
変化するなかに、進歩はあるのです。
何か事を起こそうとする時、必ず起きてくるのが過去の慣習と現状維持から来る抵抗です。
また未だはっきりしない事に対して、その様な抵抗が起きるのも当然かもしれません。
だからこそ、せっかちに事を急ぐのではなく、細微にわたる計画と細心の心配りが求められるのです。
そうして行動を起こしたら、未だ起こらない事に戦々恐々として進むのではなく、それこそ大胆不敵に邁進することだと思います。
多くの人が、折角のチャンスを失うのはこの大胆さを失い、もしも・・・だったらと、進もうとしないことが問題なのです。
人間関係においても、同じようなことが言えると思います。
もしそのように言ったら誤解をされはしないかとか、信頼を失うのではないかと上辺だけのお付き合いで、済まそうとするのではないでしょうか。
その結果、かえって誤解され信頼を失うことが多いのでは無いでしょうか!
他の誰のための人生ではなく、自分自身の人生です。
他人から期待される為に、自分の人生があるのではないと思います。
自分の信念に従い、自分の人生を生き抜くことこそ、大切なのではないでしょうか。
そこには変化を恐れず、自らの限りない成長に向かって、邁進する勇気こそ必要なのです。
自分の人生を生き抜くとは、自分自身の生きる目的を見失わないことです。
自分の存在を徒に無為にすることなく、自分を信じ、まわりを信じ、人として生きることを誇りとし自分のエネルギーを燃焼させることです。
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今週のキーワード 『お互いのベクトルをそろえれば』10.7
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戦後78年を迎え、戦後の苦しかった時を思い浮かべました。今の若い方々には、想像もつかない様な時代でした。
その苦しい時代を、何とかして一日も早くもとの日本を取り戻したいという気持ちが、国民一人一人の中にあったと思います。
私も、その日その日の食事すら出来ず飢えの中で、早くお腹一杯食べられる様なりたいと思っていました。
そのような時ですから、夢中になってその目標を達成しようと働き続けていたのだと思います。
極端に言えば日本国民の『ベクトルがそろっていた』とさえ言えるのではないでしょうか。
今日、皆が物質的に充たされ、飢える人もなくなったとき、私たちの求めるものも変わって来ました。いや余りにも充たされているので、求めるものすら見失っている人が居るのではないでしょうか。
以前企業研修を行っている際、現状の問題を話し合っている時必ずと言っていい程お互いのベクトルを合わせようということが言い出されていました。
その組織を構成する人達がいかに優秀であっても、それぞれが向かおうとするところがバラバラであると、折角の力がばらばらとなってしまい充分な力を発揮出来ないからです。
少しぐらい力がなくても、同じ方向へ向けて力を出し合う事が出来れば思った以上に成果を挙げることが出来るからです。
「ベクトルをそろえる」ということは価値観の共有化を図るという事だと思います。
家庭においても、学校においても企業においても今日一番欠けているのはこの価値観の共有化が出来ていないということではないかと思います。
価値観の共有化とは、決して価値観を統一しようということではなりません。
大きな違いがあります。統一は強制であり、共有は個々人の気持ちを生かした結論です。
この様な時代だからでしょうか、自分の夢を語る人も少なくなってきました。
政治の世界にこそ、その夢ビジョンが求められるのですが、それを語る政治家が少なくなった様に思います。
恐らく自分の夢もビジョンも、はっきりと意識していないのではないでしょうか。
目的とするものがハッキリせずに、小手先の方法論ばかりが唱えられているように思います。
最終的な達成の設計図のない行動などで、どの様な成果が得られるのでしょうか。
決して格好良い言葉やスローガンを、求めているのではないのです。
みんなの生きる目標を共有し、即ち『ベクトルをそろえ』、一人一人が自らの人生の目的をはっきりと意識することが求められるのではないでしょうか。
そして、その目的へ向かって実践可能な目標を設定し、その達成のために自ら強い決断をすることが必要なのです。
お互いが自らの人生目標をはっきりとし、そのためにこの様にやって行くのだと言うことを共通に理解し、一人一人の今後のあり方を共有し合えてこそ、各人が決断するのをサポートし合えるのではないでしょうか。
本当に心からサポートし合える人が居るからこそ、勇気をもって自分の人生を邁進することが出来るのではないでしょうか。
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今週のキーワード 『夢を望みを育てよう』9.30
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久し振りに東京に出掛けました。
何となく電車の中が珍しく懐かしく感じられて、車内の人を見渡していました。
車内のちょっと冷えすぎた冷房に、何とかならないかなと思っていた時に、親子の楽しい会話が聞こえてきて、私の心を暖めてくれました。
娘(小学校4,5年生) ねえお母さん・・やっぱ無理だ!やめたと!・・・
母親 (40代かな) 何を言ってるのよ!マイちゃん、ちゃんとやったの!
娘 だって、出来ないもの・・・
母親 じゃお母さんに、マイちゃんがどんなふうに考えたのか、どこまでやってみたのか、どうして出来ないと思ったのか、一つずつ話してくれる?
女の子は、お母さんに聞かれるままに、そうして、こうして、こうだったのといろいろと答えていました。
お母さんはそう・・うんうん・・と頷きながら一生懸命に聴いているようでした。
母親 ねえ 「マイちゃんの夢って」 何だったっけ?
娘 「ルノアールの様な画家になること」
母親 そうだったね。それが無理だというわけね。
娘 う~ん・・・
母親 そんなに簡単に、あきらめられるようなものだったんだ・・・じゃ夢じゃなかったんだ・・・
だってね、夢ってそう簡単に諦められるものじゃない のじゃないんじゃないかな~
娘 ・・・・・
母親 マイちゃん 「お母さんの夢って」 知っているでしょう?
娘 うん、知ってるよ・・小説を書くということでしょう。
母親 マイちゃんくらいの時から、いつか小説を書くんだと思い続けてきているのよ、まだ書けいないけど、まだ諦めてなんかいないんだ・・・
だって大切な夢なんだもの・・・・だからマイちゃんにも、そう簡単に諦めてもらいたくない
んだ。
その後も二人のやり取りが続いていました。
私はそのお母さんの言葉から、多くのことを子供は学んでいるように感じました。
私たちは、何事もすぐ諦めてしまう傾向があります。
それは何とか達成しようという、はっきりと描かれた夢がないからだはないかと思います。
どんな気持でも自分の中に強く焼きつけていれば、そんなに簡単にあきらめたりは出来ないものです。人にとって大切な事は、自分が何とか達成したいという夢を抱くことではないかと思います。
そうしてそれは、「自分が何かに深く興味を抱きだすこと」ではないかと思うのです。
その興味が、自然界のものであろうと社会的な現象であろうと、真剣に興味を抱くことだと思います。
そうすれば、そのことに対して計り知れない愛着までも、感じるようになってくるのです。
そうしてそれを、自分の中に持ち続け燃やし続けていれば、いつか必ずそれは自分の望みとなり目標となって、達成されるのだと思います。
先ず自分が、今何に真剣に興味を持って取り組めているのか、そのことに愛着を持って育てようとているのか考えてみて下さい。
いろんなことを学び、知識を深め、理解することも大切ですが、自分が本当に打ち込んでいける興味あることを見出し、愛着をもって続けることの方が大切なのではないでしょうか。
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今週のキーワード 『魅力ある人とは』9.23
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私は、常に全力投球するように努めているので、そのような人に出会うと我がことの様にワクワクしてきます。
全力投球をするということは、今自分がやっていることに集中出来ている証拠ではないでしょうか。
極端ですが、 精いっぱいそのことに打ち込んでいる時はそのことが自分自身の命となっているのではないかと思います。そういう時って、 過去のことやまだ見ぬ未来のことに、クヨクヨ悩んだりしていないものです。
過ぎ去ったことに、失敗したじゃないか?など考えて見たところでどうしようもないと思います。
明日もまだ来ていないし、来てみなくちゃ分らないことに、あれこれ思い煩ってみてどうにもなりません。
だから今が大切なのです。今に打ち込めるのです。
ただ何の為に打ち込んでいるのかといったら、自分の目的があるからと言えるのです。
そのために、今このことに集中し、今を仕上げる事が目標になっているのです。
今の連続が、未来であることには間違いがありません。
未来を素晴らしいものにするためには、今に集中し今を成し遂げる自分が必要なのだと思います。
その様な人に接した時、言い知れぬ魅力を感じます。
人の魅力とは、学歴や社会的な地位やどれだけ資産家であるかなど全く関係ないようです。
未来のあるべき姿に、今を燃焼させている人こそ最大に魅力を発揮している人だと思います。
即ち自分のもてるもの全てを、燃焼させている事が最大の魅力の源泉だと思います。
その魅力を、最大限に発揮するためには、先ず何に対して目標を決めるかということだと思います。
それは、大きな目標であるかもしれません。または、小さな目標であるかもしれません。
そんなことは、どうでも良いのです。目標には大、小変わりがございません。
目標が決まれば、何事に対しても更に創意工夫しより良くして行こうとする意欲も湧いてくるものです。何よりも素晴らしい事は、目標に近づいていくという楽しみと達成したときの喜びがあります。
だからこそ生きる喜びも高まってくるのです。
そうして突き進もうとする時、自分に対する絶対的な自信を持つ ことです。
私たちには、それこそ無限の可能性があるからです。
ですから「出来ないとか、無理だ」という言葉は出てこないのです。
その様な言葉こそ、あなたの力を減少させ、阻害するものに過ぎないのです。
自分が、何事かに成功したいと思ったらその事を達成することだけを目標とすることです。
その決断こそ最大限の力の源泉です。
決断を恐れる人は、為す前から失敗を恐れているのです。
全ての事に、最初から失敗などは存在していません。
もし失敗だと思ったら、それは失敗ではなく成功する為の学習の過程に過ぎないのです。
学習なくして、成功などありえません。目標の達成もないのです。
その様に行動を起こしていくときに、自分を振返ってみてください。
自分にも、いろいろな習慣があるはずです。その習慣が、自分の天性になっているのです。
毎朝30分のウォーキングを習慣としている人は、意外と元気です。
健康になる習慣を、身につけているのでしょう。
今迄無意識で行っていた習慣が、あなたを創り上げているとも言えると思います。
だったら将来の自分を目指して、新たな習慣を創り上げるのです。
自分では気づかない、いろんな無駄な習慣が、あなたを創り上げているかもしれません。
捨てるべき習慣もあるでしょう。
変えるべき習慣もあるでしょう。
今までに捉われず、変えるべきことを勇気を持って変え、正々堂々と今の自分に打ち込んでいる人こそ魅力ある人といえると思います。
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今週のキーワード 『私はまだまだですと・・・・』2023.9.16
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私が目標としていた、師と慕う人に「吉田輝夫」と言う人が居られました。
厳しい人でしたが、心の温かい人でした。
ある時、10年後には吉田さんぐらいになれるかなあ~と言いましたら・・・・・
「無理だな、10年後には俺も10年後の俺だからなあ」と笑い飛ばされてしまいました。
よく、師を追い越してこそ一人前だとか言われますが、それはおかしいことだとその時に思わされました。
そうだよな~、師を追い越すことなんて出来っこないなあ。とつくづく思わされました。
師も、今以上に先に向かって研鑽されておられるのです。よく「お師匠さんを追い越すことが恩返しだ」と言われますが、追い越すのではなく、師の教えをもとに自分が新たなものを創り出すことが恩返しなのだと思います。
本当に尊敬に値する人は、そこに留まっていない人だと思います。進み続けている人だと思います。
留まっている限り、新たな成長など望み得ないと思うからです。
偶然を待っていても、そこにいる限りチャンスはありません。チャンスは自ら進み掴むものです。
また真に優れた人は、「私はまだまだです」と仰います。
一見謙虚に見えますが、そうではなく常に未来に対して進んでいるので、現在の自分に満足できていないからだと思います。
今に満足し、やることはやり終えたと思った時、その人は凡人になり下がってしまいます。
凡人である私たちはややもすると、今に満足し未来を失いがちです。
どの様な環境に置かれても、私たちは等しく未来を持っています。
その未来を、真に素晴らしい未来にするかしないかも、自分自身の問題なのです。
未来はこうありたいと、イメージすることは出来ますが、完全にこうだなどと言い切ることなど出来ません。
自分がこう進みたいと思ったら、完全な見通しを立ててからだ等と言っていたら進む決心などできません。
きっと後悔するようなことに、なってしまうでしょう。
それを、後悔するのではなく今こそチャンスだと前向きに捉え、進んで経験することです。
日の当る所ばかりじゃない、という経験があるからこそ影も見えるのです。
影を恐れず、一直線に邁進することです。
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今週のキーワード 『人としての成功を掴む』9.9
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私は決して優れた技能の持ち主でも、理にかった人間でもありません。
特にこれと言った資産もなく、縁故もなく、外地からの引揚者として、敗戦後の困窮時代、朝夕の食事にも事欠く様な生活を送っておりました。
ただ私たち家族は、外地での生活で養ってきた日本人としての誇りと、国を想う情熱を持っていました。
もし私に、敗戦国民の諦めと、負けたという劣等感などがあったとしたら、今の私はなかったと思います。
何としてもこの困窮から脱し、堂々と生きていきたいという気持ちも無く、現状に対する諦めのみだったら、ここまで生きて、来られただろうかと思わされます。
どこかに放り出されたような、苦難が続きました。
何日も食事も出来ず、飢えの中で倒れたこともありました。
でもいつかきっと立ち上がるぞと云う思いが、モンゴルの大地の中で育まれた日本を想う情熱が、何とか日本の再生のために生きようとする想いが、私を奮い立たせてくれていました。
モンゴルから引き揚げてきた、小学6年生の時に創った詩です
古き秩序は、崩れたり新しきものを創るのだ
民主の日本を、建てるのだ
いざ立て奮え、若人よ!
新日本建設、 いざ立て若人!
最近、生きる情熱を失った若者たちとか、職を失い自殺への道をたどる人が多い、と言うことを耳にします。
介護職の人達が、仕事の割に収入が少ないと辞めていく人が多く、年35%以上の離職率だとも聞きます。
介護職の求人は予定の半分も集まらないとも聞きます。
就職難で巷には求職者が溢れ、失業率は更に高まるだろうとも言われている今日なのにです。
私はいろんな仕事を、やって来ました。
それがどんな仕事であっても、何をやっていても、その仕事を精いっぱいやってきました。
人の才能など、生まれながらに備わっているものじゃないと思います。
今の仕事に、夢中になって打ち込んでいたら、必ずその人の才能は発揮されてくるものです。
どうすれば芽が出るのかとか、今にチャンスがと待っているようでは、芽も出ないしチャンスも巡って来ないものだと思います。
芽を出すにも、チャンスをつかむにも、秘策などありません。お金も必要ありません。
必要なのは、自分が自ら築きてきた目標を達成しようとする、燃えたぎる様な情熱だと思います。
上手く行かない時も、あるでしょう。だからと言って、自分から見切りをつけるようでは、自分を信じていないのです。
自分を信じられない様な人を、誰が信じてくれますでしょうか!
自分を信じ、自分の目標を達成しようと情熱を燃やす人こそ、成功する人です。
自分を生き抜く人です。
情熱などと、青臭いという人も多いようです。私はその様な、分別くさい人間が大嫌いです。
分別とは、仏教で 「別れて別になる」 こと、即ち迷いをつくるのが分別と言うのだそうです。(行徳哲男先生談)
思い悩んでいるなら、自分の意志で一歩前に踏み出すことです。
きっとそこに幸せがあるのです。大きなチャンスがあるのです。
オッペンハイム(詩人)の言葉を借りるなら、「愚か者は幸福がどこか遠いところにあると思い込んでいる。利口者は幸福を足元に育てる。」
自分を信じ、自分の力で、自分の本当の幸福をつかみましょう。
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今週のキーワード 『ここに留まる限り・・・』2023.9.2
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よく人から、“こうなりたいのですが、どうしたら良いでしょうか”という 質問を受けます。その様な時、こんな質問をします。
“今なさっていることの内、何をおやめになるのですか?”と。
すると殆どの人が、“今やっていることは順調に進んでいますので、特にやめる ものはございません。”と。
そこで、また次の質問をします。
“今なさっておられることに、どれほど打ち込んで居られますか?”と。
また殆どの方が“精一杯やっています”とお答えになります。
それでは、今なさっていることをなされていて、“なりたいようにはなれないのですか?”
“難しいと思います”とのお答えです。”
それでは、「今なされていることをおやめにならないと “なりたいようにはなれないのですね”」。
新たに何かを起こそうとする時、今なされていることに未練があったり、悔いが残るようでは新たなことは起こせませんね。
そこに留まったまま、 別の所に行こうとすることは、無理というものではないですか。
どちらにするか!その決心こそ、今あなたに求められていることじゃないですか!
あなたが前に進みたいのなら、此処にとどまることはできません。
人の行動には潮時と言うものがあります。引潮に乗ればおそらく流されて しまうでしょう。
満潮に乗ればきっとうまく行くことでしょう。
引潮か満潮かを見極めるのは、あなたの人生に対するビジョンであり価値です。
自分の真に求めるもの、「ありたいもの」があなたの価値にあたるものであるなら、あとは勇気ある決断です。
「人間」の「間」という字を広辞苑でひくと、何番目かに「めぐりあわせ」と有ります。
人生というのは、めぐりあわせの連続なのです。そう思えば、今あなたの周りに起きていることが、よき人生の
「めぐりあわせ」になるのではないでしょうか。
ドラッカーも言っています。彼の出合ったリーダーの半数は、何をすべきかを学ぶ必要はない。彼らが学ぶ必要があるのは、何をやめるべきかであると。
現状に順応していたら、いろんなことに悩むこともないでしょう。今に少しでも不満を感じるなら、嫌だなと感じることがあったなら、自分の道を行くしかないでしょう。
それはきっとあなたに、創造的な喜びを与えてくれます。
自分の意志で自分が選んだ道を行く時に、人は生きていると感じることができます。
自分に生きる勇気を持ってください。
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今週のキーワード 『複雑にしないで思がまま行動しましょう』2023.8.26
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人生の目的ということでご質問を受けました。
私には「こうです」とお答えする事は出来ませんでした。なぜなら人それぞれに違うからです。
しかし人はただ漫然と生きるという事ではなく、何のために生きるのかと言う目的をはっきりとすることも必要だと思います。
『成功するため』と言はれるなら、あなたにとって成功とは何のことですか?
ということから始まるのだと思います。
一流の政治家になることですか?
その道のトップになることですか?
お大金持ちになることですか?
といろいろあると思います。
それらは、目的というより今あなたが手に入れたい、欲しいものではないでしょうか。
目的とは、あなたが何のためにそれが必要なのかという最終的な目標なのです。
成功と言う目標が明確になると、その目標に向かって具体的に何をしたら良いのかがハッキリとしてくると思います。目標が明確であると、今なすべきことがハッキリしてくるのです。すると自ら、そのことに打ち込むことが出来るのではないでしょうか。
今何をしなければならないかを知るために、目標を明確にし、その目標の最終的な到達点、即ちあなたの目的を、はっきりと自分のものとすることが大切です。
目的を明確にする事によって、進むべき道もはっきりとし、具体的に今何をすべきかが分かってきます。
あなたは今何をしたら良いかに、戸惑っているのではないですか?
その前に、あなたにとって自分の人生の目的は何なのかを、今一度じっくりと考えて頂くことが必要だと思います。
今、あなたの目的を明確にするための絶好のチャンスです。
何故なら、今あなたは大変な状態にあると言われますが、私には今こそ絶好のチャンスであり、成功への転機であるように思われるからです。
何かを成し遂げようとする時、今までに経験したことのない障害に遭遇することがあると思います。
その時こそ、成功の前に立っていると思われることが多いのです。
今、自分はどのような場にいるのか、自分の存在をどう感じているのか、今自分はどうありたいのかと必死に向かい合って下さい。
逃げずに、悲観的にならず今が最高のチャンスだと信じてチャレンジしてください。
私が危惧するのは、そのチャンスに恵まれながら、日常的な常識に捉われ小さく綺麗に纏め上げようとしているのではないかと思われることです。
あらゆる既成概念にとらわれず、今の自分の内なる自分に、あるがままに向かい合って下さい。
そこにあなたが見たものこそ、あなたの生涯目的です。
非常識でも良い!今あなたが思ったこと、やろうとしたことを、勇気をもって実践してください。
きっとあなたの前に素晴らしい価値あることが輝いてくるはずです。
人生に成功する人は、考えたこと、思いついたことを実行する人です。
失敗したと思う人は、ただその事をやらなかっただけだと思います。
人生に於ける成功とは、そこに何の仕掛けもありません。
今自分がこれだと全身で感じたこと、自分がそうだと心から信じたことに、
全力を集中し行動して下さい。
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今週のキーワード 『忙しいと思うのは』 2023.8.19
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忙しい!忙しい!と言っている人って、何故か自分の心の中に焦っているものがあるからじゃないでしょうか?
私は分刻みで飛び回っていた頃は、忙しいとは思わなかったような気がします。
他人から見ると「何でそんなに忙しく飛び回っているの?体を壊しますよ」と言われたものでした。
だが思い返すと、その当時の充実感は素晴らしく、忙しいなどと思ったことはかった様に思います。
当時、「俺もこんなに忙しくスケジュールが入っているよ」と手帳を見せてくれる人が居ました。
そう大変だねと言うと、「あんたほどでもないよ」と返ってきていました。
忙しいことを口にする人ほど、それ程でもないのだなとその当時から思うようになっていました。
ところが最近私自身、自分で忙しいなと思う日々が出来てきたような気がします。
それは今の私自身に、何か不足しているものがあるのかもしれません。
いま自分のやっている事に、夢中になれるならきっと忙しいと言う言葉は出てこないはずだからです。
お忙しいですねと言われたら、きっと「いや、充実していますよ」と言うでしょう。
ある人が言っていましたが、忙しさを誇るようならばその人は二流の人間だそうです。
一流の人は、忙しいはずなのに余裕があるそうです。
それは心に充実したものがあり、自分に自信を持って生きているからだと思います。
今の自分を振り返って見ました。
〇 無難な事に時間を割いていないか?
〇 本当にやりたいことをしているだろうか?
〇 それは私の価値観に副うことだろうか?
〇 誰かに認めてもらいたいという気持ちはないだろうか?
何もすることが無かったら、絶好のチャンスじゃないですか!
〇 いまあなたがしたいことは何ですか?
〇 そのことは、何のためにするのですか?
〇 今、それをしないのはなぜですか?
さあ行動に移しましょう!
自分自身を戒めて❣
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今週のキーワード 『自ら思いを念じ、行動する』 8.5
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凡人の私には、人より以上に働き勉強するより、他人と同等のことは得られないと思ってきました。
ただ私は、むやみやたらにやってきたわけではありません。
少なくともクラスで5指に入る成績をとろう!同期の中で最高の成功を得よう!
業界で特異の存在に立とう! と念じながらその実現に努めて来ました。
その結果、「思考は必ず実現化する」と、思うようになりました。
今の自分は良かれ悪かれ、過去に自分が思考し行動してきた結果であると思っています。
目標をはっきりととらえ、その目標の達成に向かって、行動してきた結果が今の私だと思います。
そう思うと、今の自分に少しの不満もありません。もし不満があるとするなら、もっと今より成長したかったなあと思うくらいです。
しかし過去の自分は変えられないのだから、今の自分を変えるしかないのです。
過去にとらわれず、周りに気兼ねすることなく、今自分が思う自分の「あるべき姿」を明確に描き、その自分を念じ思考・行動することです。思考は必ず実現します。すべて自分の心のあり方です。
人の所為にしても、自分を変えることはできません。どの様な逆境にあっても、自分を信じ自らの目標に向かって邁進することです。
ビジネスの世界においても、血の出るような苦しいこともありました。
その月の給料を払う事が出来ず、親兄弟に泣きつき借金をして払ったことも有りました。
従業員から無能呼ばわりをされたこと、取引先の人からナイフを突き付けられたことも有りました。
人はそれを修羅場と言うのでしょう。
だが私は自分の思いを心に描き、歯をくいしばってやって来ました。
もしあなたが平凡な人で終わりたいのなら、そこまで頑張らなくたっていいでしょう。
人並みで済むのですから。
だが今の自分から脱したいと思うなら、周りの人より、何倍もの努力をすることです。
そのためには先ず自分から、積極的に今の自分にチャレンジすることです。
どんな苦しいこと、困難と思われることでも、自分からその荷を背負うことです。
背負った以上は、投げ出すことはできません。自分から責任を取ることです。自ら修羅場に身を置くことです。
きっとそこから、多くのことを学べるはずです。逃げてはならないのです。
そもそも人生には、逃げ場などどこにも無いのです。成長したいなら今にチャレンジするだけです。
物の価値は、何年作だとか古物商の方々が言われるように、古いものに価値があるようです。
人間も同じかなと思います。本物の人間は、古い人ほど価値があるようです。
ただ何の努力もなく、凡々と一生を終った人からは、生きる価値すら見いだせないと思います。
折角与えられた自分の一生です。無為に時を送るだけではなく、自分自身の夢を実現すべく生き抜いた時に、価値が生じてくるのではないかと思います。
私は自分の一生を生き抜こうとする時、誰のようにありたい等とは思いません。
決して人を羨んだり、いいなあと思ったりはしません。その人は、その人の人生を精いっぱい生きたのです。
私もそのように、精いっぱい自分を生かしきれれば 『いいなあ』 と思っています。
今している仕事が、与えられてやっていると思っているようでは、決して仕事は楽しくもなんともないはずです。
ただ残るのは義務感だけです。
自分の人生を生きる上で、それを自分の使命と感じるなら、その使命感こそ、社会に大きな成果を残すことになるのだと思えます。義務感には、悲壮感がお似合いでしょう。
使命感には、達成感と喜びを見出すことができます。
自分の思いを念じ、精いっぱい生きることこそ、あなたの人生ではないでしょうか。
人間性回復運動は、あるべき自分を見出し、その自らの使命の達成に思いを念じ、自ら行動する人生行路だと思います。
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『自ら思いを念じ、行動する』 2023.7.29
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凡人の私には、人より以上に働き勉強するより、他人と同等のことは得られないと思ってきました。
ただ私は、むやみやたらにやってきたわけではありません。
少なくともクラスで5指に入る成績をとろう!同期の中で最高の成功を得よう!
業界で特異の存在に立とう! と念じながらその実現に努めて来ました。
その結果、「思考は必ず実現化する」と、思うようになりました。
今の自分は良かれ悪かれ、過去に自分が思考し行動してきた結果であると思っています。
目標をはっきりととらえ、その目標の達成に向かって、行動してきた結果が今の私だと思います。
そう思うと、今の自分に少しの不満もありません。もし不満があるとするなら、もっと今より成長したかったなあと思うくらいです。
しかし過去の自分は変えられないのだから、今の自分を変えるしかないのです。
過去にとらわれず、周りに気兼ねすることなく、今自分が思う自分の「あるべき姿」を明確に描き、その自分を念じ思考・行動することです。思考は必ず実現します。すべて自分の心のあり方です。
人の所為にしても、自分を変えることはできません。どの様な逆境にあっても、自分を信じ自らの目標に向かって邁進することです。
ビジネスの世界においても、血の出るような苦しいこともありました。
その月の給料を払う事が出来ず、親兄弟に泣きつき借金をして払ったことも有りました。
従業員から無能呼ばわりをされたこと、取引先の人からナイフを突き付けられたことも有りました。
人はそれを修羅場と言うのでしょう。
だが私は自分の思いを心に描き、歯をくいしばってやって来ました。
もしあなたが平凡な人で終わりたいのなら、そこまで頑張らなくたっていいでしょう。
人並みで済むのですから。
だが今の自分から脱したいと思うなら、周りの人より、何倍もの努力をすることです。そのためには先ず自分から、積極的に今の自分にチャレンジすることです。
どんな苦しいこと、困難と思われることでも、自分からその荷を背負うことです。
背負った以上は、投げ出すことはできません。自分から責任を取ることです。自ら修羅場に身を置くことです。
きっとそこから、多くのことを学べるはずです。逃げてはならないのです。
そもそも人生には、逃げ場などどこにも無いのです。成長したいなら今にチャレンジするだけです。
物の価値は、何年作だとか古物商の方々が言われるように、古いものに価値があるようです。
人間も同じかなと思います。本物の人間は、古い人ほど価値があるようです。
ただ何の努力もなく、凡々と一生を終った人からは、生きる価値すら見いだせないと思います。
折角与えられた自分の一生です。無為に時を送るだけではなく、自分自身の夢を実現すべく生き抜いた時に、価値が生じてくるのではないかと思います。
私は自分の一生を生き抜こうとする時、誰のようにありたい等とは思いません。決して人を羨んだり、いいなあと思ったりはしません。その人は、その人の人生を、精いっぱい生きたのです。
私もそのように、精いっぱい自分を生かしきれれば 『いいなあ』 と思っています。
今している仕事が、与えられてやっていると思っているようでは、決して仕事は楽しくもなんともないはずです。ただ残るのは義務感だけです。
自分の人生を生きる上で、それを自分の使命と感じるなら、その使命感こそ、社会に大きな成果を残すことになるのだと思えます。義務感には、悲壮感がお似合いでしょう。
使命感には、達成感と喜びを見出すことができます。
自分の思いを念じ、精いっぱい生きることこそ、あなたの人生ではないでしょうか。
人間性回復運動は、あるべき自分を見出し、その自らの使命の達成に思いを念じ、自ら行動する人生行路だと思います。
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『三歩先を読み、二歩先を語り、一歩先を照らす』 7.22
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19日で90歳を迎えました。
今日まで、こうして元気に頑張って来られたのは、ひとえに皆様方の支えと励ましを頂いて来たからだと、心より感謝しております。
人間性回復運動を主唱して、この50年有余の間、大変なこともありました。
その時々の多くの方々の、お力添えは言うに及びませんが本田技研元副社長の藤沢武夫氏の言葉が、大きな支えでもあり、私が人間性回復運動を続けている大きな理由の一つです。
「三歩先を読み、二歩先を語り、一歩先を照らす。」 というのが藤沢武夫氏の言葉です。
意図は違うかもしれませんが、私は自分なりにこうとらえて来ました。
私は、常に前を見てきました。
ある時には何を夢みたいなことを言うのか、と笑われたこともありました。
私は、政治家でも哲学者でもありません。ましてや教育者でも宗教家でもありません。
ただ今の世の中、何かおかしいのではないかなと思い続けてきている一人の市井の凡人です。
何かを思うとき、今のことばかり考えていたのでは今のことしか見えません。一歩先のことばかり気にしていたら、一歩先のことしか見えません。だから私は三歩先を読むようにしています。
パスカルは「人間にとって、苦悩に負けることは恥ではない。 快楽に負けることこそ、恥である」と言っています。
この50有余年、人間性回復運動を続けてくるにはいろんな苦難がありました。周りからもうやめたらどうですと再三言われて来ました。そうやめれば、それで私は楽になったはずです。
だが私は、一人でも多くの人に真の人間の幸せについて考えていただきたい、また人を信じることの幸せを掴んで頂きたいという、三歩先の夢がありました。
そうしてそれらのことは、頭で理解したところで何も身についたものにはならない。実践でこそ掴めるのだと信じてきました。
ゲーテの言葉を借りますれば、「学術においても、実際には人は何も知ることはできない。常に実践が必要である」と言うことです。
人間性回復運動は、人間関係の勉強ではありません。
貴重なお互いの体験から、日頃お互いが無意識のうちに流し去っている、人の心を呼び覚まし心から語り合い自分自身に目を向け他人を信じ、信頼関係を築き上げていく自分自身の人生行路なのです。
人として、あらゆる思い込みを離れ、今ここにいる人に、今ここに起きていることに、今ここにあることに、心から感謝し合える「愛」を見出すことが大切だと思います。
人間性回復運動は、自分自身が行動により、そのことを体得し続ける運動なのです
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『今を楽しく生きる』
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そろそろ90歳になると思うと、よく此処まで元気に生きて来たなと一人嬉しく喜んでいます。
これまでの人生で、嫌々ながらやってきたことがないな、と思えるのも本当に幸せ者だったのでしょう。
仕事を志事として、人との関わりも私自身の人生であり、私に課した私自身の使命なのだと生きてきたから、愉しく生きて来られたのだと一人微笑んでしまうのです。
毎日を楽しく生きることは、誰に遠慮することもなく、自分自身にあるがままであることが第一の様に思います。あるがままと言いますが、鏡に映っている私はその時のあるがままの私なのかもしれません。
しかしその私も、その時を過ぎてしまえばもう過去の私なのです。
ところが私たちは、過去の残像に捉われて今の自分を見てはいないでしょうか。
嬉しかったことや悲しかったこと等が、いつまでも気持ちとして残っている様に思います。
そういうことが、鏡を曇らせて見えているのではないでしょうか。
人を理解するということは、過ぎた人の残像に捉われることなく、今のその人をあるがままに受け容れるということだと思います。
過去の自分に捉われている限り、今のその人をあるがままに受け容れることは出来ないのではないでしょうか。人を受け容れるという事は、過去の自分や過去のその人に対する思いや感じなどに捉われず、今の相手を、あるがままに受容するということだと思います。
人をあるがままに受け容れたとき、今の私をそのままに感じてもらえるのではないかと思います。
そのような時、人は嬉しく楽しくなるのだと思います。楽しくと言いますと、安楽をむさぼる様にとられる方もあるでしょうが、私の言う楽しさとは、決してその様なものではなく、人生の楽しさ『今自分が存在している』ことの喜びなのです。
仕事も嫌々ながらやっていたのでは、少しの事でも大変なこととして、耐えられないほどキツク感じてしまうものです。
自分の人生目標をしっかりと捉え、そこに向かって進めていくなら、たとえ他人からどのように見られようと、それを苦にすることなく、楽しく仕事に打ち込めるものです。
そのような時こそ、人生は楽しく思われるものです。
仕事が楽しくなると、仕事ほど素晴らしいものはございません。
自分がやらねばならない義務として、仕事をやっていると、どんな素敵な楽しい仕事でも、辛くなってしまうものです。
仕事を「志事」として、自分の意志から打ち込んでいる限り、そのことさえ嬉しく楽しくなってくるものです。
そのような時、その行動を通じて自分自身を成長させているのだと思います。
一日を楽しく過ごせれば、その日の終りには、きっと今日一日に感謝したい気持ちも沸いてくるものです。
日々を楽しく過ごすとは、いま自分がしていることに、自らの人生とその生き甲斐を感じている時だと言えます。
その生き甲斐を、達成することを目的として、今に集中できる時こそ最高の喜びと楽しさを見出すことが出来るのだと思います。
人間性回復運動は、自らの目的をしっかりと掴み、その達成に向かって邁進できる楽しさを体得して行動する自分自身の人生行路なのです
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『どこに逃げるのですか、あなたの人生です』
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人は苦しいことを避けようとするものです。
先日ある会合で、「この不況の中で業績も上がらず、上司から責めたてられ辛くてどうしようもないです。自殺まで考えてしまいます。
そんな話を聞いて、大勢の人が居る場だったので「苦しいでしょうが負けずに頑張ってください」と、他人ごとの様な返事で済ませたことが気になっていたので、後で個人的にお話をしました。
大変きつい言い方かもしれませんが、その苦しさから抜け出そうと何かなさって居られるのですか?
『やろうと思っているのですが、何をしたらいいのか分からないです。』 という返事でした。
人って、必死に何とかしようと思って頑張っている時には、そんな弱音は吐かないものではないでしょうか?
その場を逃げようとするから、そんな弱音が出て来るのではないでしょうか
仕事が思うように行かないからとか、不況だからとか、上司が云々などと言われるのは、それらの事に依存していることになりませんでしょうか。
他人やいろんな状況にコントロールされている人生は、行き詰った時には逃げ出したくなるものです。
私は、誰が何と言っても自分の人生です。自分の人生は、自分でコントロールするもしかないと思います。
自分が生きるための信念を、自分で強く持つことだと思います。。
人生では、皆が同じ主役を演じているのです。その主役を投げ捨てたら、自分の役は巡って来ません。
ただ一度の人生なのです。苦しくとも、その人生に自ら立ち向かっていく勇気を持つことが大切です。
今から逃げたところで、決して幸せなど降って来ません。
逃げる限り、どこまでも苦しさは付いて来ます。その様な時こそ、その悪循環を断ち切るチャンスだと思います。
人間にできることなら、何だってやってやるぞという気になれば、どのような苦しみ、もどの様な困難も必ず成し遂げられます。その信念と覚悟を持って、行動する限り必ず達成されます。
逆に小さな溝でも、些細なことを恐れて渡ろうとしなければ、大きな大河に見えることでしょう。
あなたの決断と勇気ある行動のみが、あなたの苦しみを解消する魔法なのです。
最近よく聴くことですが・・・
敢えて目標というものもなく、それらに伴う刺激もないので、生きがいも感じなくなってしまうのです。思い切った行動に、踏み込めないのです。
などと言われるのを聞きます。
この様なことを言われる方々は、同じように自分の人生を、他にコントロールされているのだと思います。
何か治療でも受けるというなら、注射や手術と言う外的な刺激を受けることもあるでしょう。
然し心的な刺激は、あなた自身が火をつけ、燃え続けさせないと見えないのです。
自分の人生を、自分から生きようとしているなら、刺激など、どこにでも転がっているのです。
勇気こそ、あなた自身を測る物差しです。
自分の目指す人生に、勇気をもって邁進してください。
逃げる必要もなく、刺激に満ちた素晴らしい人生を謳歌出来ます。
人間性回復運動とは、自らの人生を勇気をもって邁進するパワーを発揮し突き進むことです。
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今週のキーワード 『あなたの目的は・・・』
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人生の目的ということでご質問を受けました。
私には「こうです」とお答えする事は出来ませんでした。なぜなら、人それぞれに違うと思うからです。
しかし人は、ただ漫然と生きるという事ではなく、何のために生きるのかと言う目的をはっきりすることが必要だと思います。
『成功するため』と言はれるなら、あなたにとって成功とは何ですか?
ということから始まるのだと思います。
著名な政治家になることですか?
タレントとして名を売ることですか?
企業家として著名になることですか?
お金持ちになることですか? といろいろあると思います。
それらは、目的というより今あなたが手に入れたい目標なのではないでしょうか。
目的とは、あなたが何のためにそれが必要なのかという最終的な目標なのです。
成功と言う目標が明確になると、その目標に向かって具体的に為すべきことがハッキリと見えてきます。
目標が明確であると、今なすべきことがハッキリしてくるのです。
すると、自らそのことに打ち込むことが出来るのではないでしょうか。
今何をしなければならないかを、知るために目標を明確にし、その目標の最終到達点、即ちあなたの目的をはっきりと、ご自分のものとすることです。
目的を明確にする事によって、進むべき道もはっきりとし具体的に今何をすべきかが分かってきます。
あなたは、今何をしたら良いかに戸惑っているのではないですか?
その前に、自分の生涯の目的は何なのかを今一度じっくりと考えて頂くことが必要なのだと思います。
今あなたの目的を明確にするための絶好のチャンスです。
何故なら、今あなたは大変な状態にあると言われますが、私には今こそ絶好のチャンスであり、成功への転機であるように思われるからです。
何かを成し遂げようとする時、今までに経験したことのない障害に遭遇することがあると思います。
その時こそ、成功の前に立っていることが多いのです。
今自分はどのような場にいるのか、今自分の存在をどう感じているのか、今自分はどうありたいのかと、必死に向かい合って下さい。
逃げずに悲観的にならず、今が最高のチャンスだと信じてチャレンジしてください。
私が危惧するのはそのチャンスに恵まれながら、日常的な常識に捉われ、小さく綺麗に纏め上げようとしているのではないかと思われることです。
あらゆる既成概念にとらわれず、今の自分の内なる自分に、あるがままに向かい合って下さい。
そこにあなたが見たものこそ、あなたの生涯の目的なのです。
非常識でも良い!今あなたが思ったこと、やろうとしたことを、勇気をもって実践してください。
きっとあなたの前に素晴らしい価値ある目的が輝いてくるはずです。
人生に成功する人は、考えたこと、思いついたことを実行する人です。
失敗したと思う人は、ただその事をやらなかっただけだと思います。
人生に於ける成功とは、そこに何の仕掛けもありません。
今自分がこれだと全身で感じたこと、そうだと心から信じたことに全力を集中し行動して下さい。
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今週のキーワード 『いつも感謝の気持ちで』 6.24
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私は、よく思い切ってやりますね!と言われる時が有ります。リスクを考えないのですか?とも言われます。
とんでもないです。いろんなリスクがあるかもしれませんが、私は自分の人生を自分なりに精いっぱい生きているだけです。
私には“出来るかとか、出来ない”などを云々し合っているような余裕がないのです。
何とかして、やり遂げようと言う思いの方が強いだけだと思っています。
人事を尽くして天命を待つと、言われていますがそうなのですね
そう割り切らなくちゃ、今に打ち込むことって出来ないでしょう。
私は今やっていることを、嫌々ながらやった記憶がありません。
いつも今やっていることに、精いっぱいなので楽しくてしようがないのです。
ですから自分で、頑張っていると言う感覚すら無いのです。
自分の力を、少ししか出していなくても、嫌々やって居る人は頑張らなくちゃやっていけないのでしょうね。
頑張らなくても、楽しんでやればいいのに・・・・。
今に打ち込んで、楽しんでいくことが大切なのだと思います。その方が疲れません。
100%出しても疲れない人と、20%しか力を出してなくても疲れる人との違いは、そこにあるのだと思います。
何でもそうだと思いますが、世の中には有り難いことがいっぱいあるのに、それに気づかない人が多いようです。
世の中には、不平不満ばかり言っている人と、ちょっとした事にも凄く感謝する人が居ます。
感謝する人は、些細なことにも価値を認める人だと思います。
感謝出来ない人は、何に感謝したらよいのかにも気づかない人だと思います。
感謝することは、今自分の周りに起きていること全てにではないでしょうか。
どの様なところにも、必ず陽の当るところと、当らないところがあります。
陽の当るところは、影になるところがあるから、陽の当たるところがあるのです。
だから陽の当たりを喜び、感謝することが出来るのだと思います。
常に今自分の置かれている立場や状況を、率直に受け入れる気持があれば、今を一生懸命生きることが喜びとなり、感謝の気持ちが湧き起こってくるのだと思います。
人間性回復運動は、今自分が生きることに喜びと感謝の気持ちを得て、周りの人や全ての存在に対してあるがままに心から有難うと言って、人生を謳歌していく自分自身の人生行路なのです。
今週のキーワード 『エゴを脱ぎ捨てたときに』
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最近いろいろと、迷うことが多いように思えます。
自分が何のために生きているのか、一体自分とは何なのだろうと考え込んでしまうことが時々あります。
本当に分かっているつもりでも、このような迷いが出てくるということは まだ自分自身と真剣に関わり合って居ないのかもしれません。どこかにまだ脱ぎ捨てきれないエゴが有るのでしょう。
こんにちどれ程の人が、本当に自分を分かっていると言えるでしょうか?
本当にエゴを脱ぎ捨てきって、自分と対峙出来ている人がどれ程居るのでしょうか?
本当に自分を分かるとは、自分に真剣に向かい合う必要があると思います。
そこにはエゴが無く、真剣に自分に問いかけ、自分の生き様をさらけ出しているのだと思います。
自分をさらけ出すとは、そこに何ら自分の評価も無く天地の大いなるエネルギーの前に無限の力を浴びているのだと思います。
そこには、有益とか無駄とかもなく、また不安や恐怖、喜びや悲しみ、幸や不幸、愛と憎しみ等、全てのことが一元的に存在しているのだと思います。
決して人の存在を責めたりすることもなく、周りの逼塞感もなく、あるがままに存在しているのだと思われます。
「そう言ったって、生きていくためには、こうするしかしようがないじゃないか!」
「どうせいくらもがいても、どうなることも無いじゃないか!現状に諦めていくよりしょうがないじゃないか!」と喚き散らしたくなるのかもしれません。
そうしてみると、自分を知るということは自分の生き様を見ると言うことではないように思われます。
自分がどう生きているかということは、自分が人とは「確く生きるべきであると」と創り上げた自分の枠組みから見たものに過ぎないように思えるのです。
生き様とは、そのように自分が生きてきたという積み重ねであり、その証にしか過ぎないと思われます。
人生とは生涯かかって、自分を何とか創り上げて行くものなのかもしれません。
大切なことは、一生かかっても本当の自分を生きることではないかと思います。
自分の人生に、全生命を費やす程真剣に生きていないのであれば、自分の運命がつまらないとか、どうせ人生なんかなる様にしか成らないのだと諦めているようなものでしょう。
人生、「出来ない」ことがあっても「やれないことはない」と必死で取り組んでいけば、なにも恐れることはないと思います。命のある限り、自分を生きることこそ自分を知ることではないでしょうか。
この一文を書いているうちに、私は自分を真剣に見る勇気が出てきました。
まだ自分のエゴを、投げ捨てることは出来ていないかもませんが、その意識の中に精いっぱい自分を活かしていこうと思っています。
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今週のキーワード 『幸せは自らの内にある』6.10
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久し振りの天気に誘わせて、大山に登ってみようと出かけました。
伊勢原から大山までのバスの中で、海外旅行から帰ってきたらしい若い女性の3人連れと知り合いなのでしょうか、中年の男性と一緒になりました。
「羨ましいなあ!どこまで行ってきたの?」「今回はドイツを中心に行ってきたの」「そうなの、楽しかったでしょうね・・・」 3人の女性はニッコリと応えていました。
「海外に行けるなんて幸せだね、俺なんか幾ら頑張って働いても、海外どころか国内旅行も出来ないよ。せいぜいこうやって大山を登るくらいだね・・・」と、中年の男性は愚痴をこぼしだしていました。
楽しそうにしていた3人の女性は、不快な顔をして黙ってしまいました。
単なる中年の愚痴だと、聞き流してしまえばそれでいいのかもしれないが折角楽しんで帰国した若い女性達に、嫌な思いをさせて何が楽しいのだろうと、その中年の男性を見てしまいました。
その時、傍から眺めていた私は、4人の態度や言動から 「幸せって何だろう?」 と思わされました。
私が経済的には、何の不自由もなく過ごしていたころ、本当に幸せだったのかな・・・と思い当時を振り返ってみましたが、決してそうではなかったように思われました。
仕事に夢中になって、睡眠時間すら惜しいと思って、がんがんと業績を上げ、次々と会社を増やしていた時に思いを巡らせましたが、決して幸せだったなあという感じはしませんでした。
妻の介護に一生懸命になっている時、彼女の顔に嬉しそうに微笑んでくれるのを見た時何だか今が一番幸せのような気がするのです。日々の生活には、何の贅沢もせず一汁一菜の食事に感謝しながら頂いている時、何の不安もない今こそ一番の幸せなのだなと思えるのです。
私はいつの時代でも、一生懸命やってきました。
そこでいろんな事に対処しながら、いろんな方にめぐり合って来ました。それらの人から、多くの事を学び自分の為すべき事を教えられて、自分の生きる道を見出してきました。
今こうして自分がこの世に存在し、何らかの形で少しでもこの世に役に立つことが出来ているなら、それが最高の幸せなのではないかと感じています。
一月後には90歳になるのかと思いますと、残り時間もそう沢山は無いのでしょう。
そう思うと一日一日が、貴重な時間だとつくづくと身をもって感じています。
幸せな一生を過ごすとは、今を大切に生きることだと思います。
そのためにも、自分の立ち位置をしっかりと捉え、ひと時ひと時を悔いることなく、懸命に今に集中することだと感じています。それが、私に与えられた天命だと思っています。
そこに、自分の存在の意義を掴めるはずです。それこそ幸せな人生と言えるのだと思います。
幸せは、待っていても来るものじゃありません。自ら積極的に求め、自らその天命に向かって精一杯働き学ぶことです。幸せになりたいなら、自ら行動することです。
ただがむしゃらに働け!と言っているのではありません。
仕事は、あくまでも自分の人生の中での仕事です。それを志事として、自分の人生を精いっぱい生きる術として生き抜きましょう。自らの幸せのために。
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今週のキーワード 『自分から逃げず、自分を活かす』 6.3
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蒙彊に渡った当時、まだ7歳ころでしたが父から負けちゃいかん!といつも言われて来たことが、今でも記憶に残っています。
その所為か、幼少時から負けん気の強い私だったように思います。相撲に、柔道に、剣道に、体力的にも強くなろうと一生懸命でした。
それが身に着いたのか、小学校に進んだ時から常に学級一になり、そのことに夢中になりました。
今にして思えば、父に言われていた「負けちゃいかんと」言うのは、人に負けちゃいかんと言うことだけじゃなく、自分に負けちゃいかんと言っていたのだとつくづくと思い出します。
当時の私は、父から言いつかったことを、「僕にはそれは難しいよ、僕には出来ないよ、ヤンさん(中国人のお手伝いさん)に頼んでいい?」 と弱気の私だったので、父は気がかりだったのだと思います。
自分を活かすということは、人からああだこうだと言われることではなく、常に自分を信じ自分の持てる全ての能力を、自らのために発揮し生きて行く事だと思います。
勝負の世界においても、連勝する様になるには、その気持ちの強さが必要です。
剣の極意は技ではなく、心だと言われていました。
そう思いますと自分を活かすということは、今の自分をそのまま十分に発揮できる自分を確立することだと思います。今の自分とは、今ここにある自分です。その自分に正直に生きていると言うことだと思います。
それは自分自身を磨き、自分自身に偽らず心耳で聴く素直さと自分を信じて生きる勇気を持っていることと思います。
自分に正直とは、自分の気持ちにも恥じることなく、心から満足して行動出来るということです。
誰だって、過去には失敗したと思うことや、悔いる様なこともあったと思います。
しかしその様な過去を思い、過去に振り回されていたら前に進めません。
過去の積み重ねが今なのです。確かに過去があって、今の自分が居ることは事実です。しかし過去の積み重ねの中で、過去は変化し今を築いているのです。
過去の行動に思いをめぐらし、「ああすればよかった」 などと言っても過去が返ってくることではないし負け犬の遠吠えにしか過ぎないと思います。過去を悔いやっても、過去に返ることはできないのです。
大切なのは過去の自分ではなく、今の自分です。
だから過去にこだわるのではなく、今に正直であるということが「自分に勝つ(克)」ということなのです。
また私たちは、ああしようこうしようといたずらに時間を空費してしまうことが多いようです。
その空費した時間は、もう二度と取り返しの出来ない時間です。
ですがいろいろと考え、いろいろと知恵を絞ることは決して空費とは言いません。
いくら空費しても、無駄にならないのが私たちの「今」に知恵を絞ることです。
この「今を生きるための知恵を絞ること」こそ、私たちの命をつくり上げて行くものだと思います。
即ち成長していくことなのです。
時には、背伸びをしても良いと思います。自惚れても良いと思います。いろいろと知恵を絞り、周りを見渡すことです。人から何と言われようとも、縮み思考になるより拡大志向で生きようとすることです。
そのうちに、それが自分自身の身の丈に成長させてくれるのです。
人の成長とは、あるがままの自分を信じ、自分の心に従って正々堂々と一歩一歩と前に向かって確実に進んで行く時、実感できるものだと思います.
今週のキーワード 『知識を行動に活かす』 5.26
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行動の継続こそ「力なり」と思っています。
最近そうじゃなくて、矢張り「知識は力」ではないでしょうかと問われて考えさせられました。
「知識は力なり」と良く昔から言われて来ました。私はそれを否定しようとは思いません。
ただ言われた方が、余りにも「知識」に拘り過ぎているように思われたからです。
「知識」さえあればという発想には納得できなかったのです。
最近、あれも知っている、これも知っていると、知っていることのみも恰も自分に能力がある様な思いに陥っている人が多い様な気がするのです。
知っていると言っても、「何を知っているか」が問題ですが、例えばマネジメントに関しての知識を持っていると言っても、その方が立派に企業の中でマネジメント力を発揮できるとは限らないと思います。
いくらそのことについての「知識」が有っても、それを行うだけの技量も必要です。
さらに大切なのは、その知識、技量を行動に移す意欲、行動力が有るかだと思います。
知識のある人は、そのことに関して,自分が欠かせない重要な人物であるかの様な錯覚に陥ってしまいがちです。
他人がそのことで失敗した時、何故俺に聞かなかったのかとか、きっとこういう結果になると思っていたと、第三者的に批判のみ行ないがちなようにも思います。
どの様な知識も、自ら行動してこそ力となっていくのだと思います。
またどの様な知識も自分の為というのではなく、この知識を生かそうと無心になって行動できる時、その知識が新たな知恵を生み出していくのではないかと思います。
自分が何かをやりたいと思った時、そのことに関することを真剣に知ろうとします。
そうしてその様な考えが、その様な論理がどうして生じて来たのかを知り、そこに行動の原点を見出すことが必要だと思います。
何故そうなったのかを知った時、自分もそこに本当に自分を生かす知識が身に付いたと言えるのだと思います。そうしてそれを自分が出来るかどうかを判断できなくてはなりません。
何でもかんでも、自分でしなくてはと思う人もいるようです。人には、得手不得手が有ると思います。
しかし自分で、自分の枠をつくってしまって 「できない」とか「不得手」だと決めつけている人も多いようです。
今まで自分で思い込み作り上げた枠の中で、どれほど多くの事を見逃してきたかを考えなくてはなりません。それ等が、自らの知識や行動の範囲を狭めて来た大きな原因であるからです。
その様な行動の原点にあるのは、自分の夢であり、その夢を大きく育てて行く、枠のない自由な思考と行動力なのだと思います。
自分の周りには、いろいろな越えるべき壁がいっぱいあります。
それらを問題として論じることより、自分自身への新たなチャレンジとして受け止め行動することが大切です。そのことによって更に一歩前進できるのです。
人間性回復運動は、今までの自分の枠にとらわれない考え方や、知識を吸収すると同時に積極的な行動力を高めることです。
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今週のキーワード 『自ら選択した自分の道』5.19
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私事ですが、ここ数年で、兄・姉を亡くしてしまいました。そろそろ90歳を迎える様になり、亡くなった兄姉に如何に支えられて生きてきたのかを今更ながら思わされます。
中学時代に共産主義に共鳴し、秘密結社に入り革命を起こすのだと無謀な運動に走っていました。
その時、「国を売るなら死を選べ」と涙を流して、阿蘇の山奥に逃がしてくれた次兄の気持ちが今も熱く胸を打ちます。
今にして思うと、過ちだらけだった私に自分を見直す機会を兄達が必死で与えて呉れていたのです。
しかし、いま自分があるのは自分の選択でした。
それがどんなものであったにしろ、自分自身がとってきた選択であったのです。
人は常に、自分という舞台の中で脇役ではなく主人公として生きて来ているのです。
それがたとえ人から見て、脇役の様に見えてもそれが自分なのです。
自分の道を生きて居ながら、時には自分らしくない行動を取っているかもしれません。
今の自分に、迷って居るかもしれません。自分に自信を失い、生きる道を踏み外しているかもしれません。
しかしそれが自分であることを、認めようとせず他に責任を転嫁していることがありはしないでしょうか。
迷いは、決して無駄ではありません。
そこで自分を見直し、自分自身に呼びかけ、真実の自分を見出す機会となるからです。
躓いたり、迷路に迷い込む様なことがあるのも事実です。
しかし、それも自分で選び歩んできた結果なのです。
その時々には、自分でベストと思って選んだ道だと思います。
だとすれば、それは決して無駄でもなく悔いることもないはずです。
自分の選んだ道に、自信を持って進めばいいのです。
行き戻りが有っても、たとえそれが回り道であっても、自分が選んだ道だと思えば何の悔いもないはずです。
他人より早く、そこにたどり着こうと競争したり策を練ったりするから、悔いたり妬みが生じたりするのではないでしょうか。他人と比べたり、競ったりしなくても良いのではないでしょうか。
自分の道を、自分に合わせて着実に進んで行けばいいのです。
自分が自分の人生に、生きがいを感じ堂々と生きて行こうとするなら何にもくよくよしたり一度の躓きに悲観することもないのです。
今これをしないと、人に遅れを取るのではないかと心配したり、自分をデイスカウントするようなことはしないとです。その様にして生きて行こうとする時、一番大切なことは人を信じることだと思います。
人とは、自分も入っています。他人を信じること以上に自分を信じることです。
他人を信じること以上に、何百倍も自分を信じることです。自分を信じている限り、他人と競うことも無く悔いることもないからです。
今までの自分に、もし今拙いと気づいたら、思い切ってその時自らの変化を起こすことです。
そこには、自分自身の決断が必要です。決断には細心の注意を払い、大胆なまでの勇気が必要です。
それもこれも、自分をとことん信じていれば出来ることです。
人間性回復運動は、自分自身の人生に人を信じ自分を信じ勇気ある行動を起こし、自分創りに邁進することです。
今週のキーワード 『人生のプロとして生きる』 5.13
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80歳まで、コンサルタントとしての道を、夢中になって頑張って来ました。
そしてことあるごとに、プロ意識を持てと言うことを口にしてきました。
しかしこの50年間、誰一人としてこれが人間としてのプロだと腑に落ちる一言を頂いたことはないように思います。
私は過去コンサルとしての50年間、一日一日を 「自分が今やるべきことは何だコンサルタントとしてこれでいいのかを」 自分に問いつめながらやってきたと今でも自信を持ってそう言いきることが出来ます。
例え子供たちと山に登っていた時も、周りのことに気を配り環境に良き影響を与えるためにはと、何かを考えノートに書き控えていたものです。
友人と飲み屋で一杯やっている時も、この店の特徴はなんだろかとか、何となくコンサルタントとしての目で見ていた様です。
それが良いとか悪いことではなく、ひと時として自分がコンサルタントとして、その道に生きるものとして当然なこととして来たと思っています。
人は成長するにしたがって、いつの間にか今の自分に満足したり甘んじたりして、いつしかこれで良いのかと言う思いすら、薄れて行っているのではないでしょうか。
自分に疑問を持っこと、今より他に何か無いのかと言う推察する力、物事に対してあくなき関心、それらをったとき、プロとしての生き方を失った時ではないかと思います。
コンサル時代に、そういう自分がいたならその時にコンサルタントとしての成長はストップしたのだと思います。
人が生きるということは、「人間としてのプロ」として常に自らにこれで良いのかと、疑問を投げ掛け自らの成長を見失わないことだと思います。
人は、常に何か悩みを抱え自分勝手に悶々としているようですが、それらはどこから来るのでしょう。
よく 「皆さんがお出来になるのに、それが私には出来ていないのです」とか、「私はそれを持っていないのです」とか他人に比べ、自分がそうでないことを悩んで居られる様に見受けます。
なぜ、他人と比較しなければならないのでしょう。他人は他人の生き方です。人それぞれの生き方があるのです。なんら比較する必要は、ないのではないですか。今あるのが、あなたなのです。
くだらない見栄や欲を、捨てましょう不必要な悩みも捨てましょう。
気を付けなくてはならないのは、全てが順調に行っている時と思います。
その様なとき、人は有頂天になり慢心しがちです。
その様な時こそ、これで良いのか?
今だからこそ、すべきことはないのか?
と自分自身に問う、ゆとりこそ必要だと思います。
人間性回復運動は、悩みの解決とか、不満の解消を図る場ではありません。
自分自身が自分自身に真剣に問いかけ、自らを「人間のプロ」としての生き方を再発見し、自信を持って自分の人生を生き抜く力を得る自分自身の行いの場なのです。
今週のキーワード 『あるべきあなたが、そこに居ます』5.6
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今日も久しぶりにのんびりとして、座禅の時間をいつもより長く取って しまった様です。
座禅をし出してから、よく10年後の自分を描いて居りました。
100歳になっている時の自分を描いている時の思いです。
アフリカの貧困国の子供たちに囲まれ、出来たての学校の前で大はしゃぎをしている自分を、凄くまぶしく感じていました。
人って不思議なものです。自分がイメージしている限り、その様に行動するものです。
どうせ実現できないと思ったらその時に、すでにその思いも消えてしまいます。
こうありたいと思うことが、夢でも良いじゃないですか、願望に終わっても良いじゃないですか。
まず 「こうありたい自分」 を描きましょう。
人の思いは、実現に向かって進むものです。
今自分が、不運な状況に有っても決してそれを嘆かないで下さい。
それはあなたが大きな幸せを掴むための、壮大な前兆なのかもしれません。
私は90年間の今日まで、いろんな仕事をやってきました。
ぶっ倒れるほど、苦しい思いをしたことも再三でした。ただ私は、それを苦しみとは感じていませんでした。
自分のそれに打ち込む情熱の中に、楽しささえ感じていたのです。
何事でも、一番大切なのは練りに練られた計画より、見事な戦略よりそれを成し遂げようとする情熱だと思います。
自分が、何を目的としているのかも分からず行き当たりばったりにやっている人は、自分の進む道すら見いせないことでしょう。
その人にどこに行くのかを尋ねても、おそらく彼は戸惑うばかりでしょう。
そうして、とにかく行くのですと答えることでしょう。どこへ行くとも知れず。
私たちは何のために生きているのでしょう?
そのために何をやっているのでしょう?
その様な自分を、よくよく考えて欲しいと思います。
そうしてそんな自分に、今必要だと思うこと、出来ると思うことを、最優先に自分の時間を、自分の才能を全てのリソースをつぎ込んで下さい。
きっとそこに、あなたが求めている素晴らしい人生の道が、燦々と輝き導いてくれることでしょう。
戦国武将織田信長の言葉に、「臆病者の目には、敵はつねに大軍に見える。」 というのがあります。
私たちは、自ら進むべき道に臆病になってはいないでしょうか。
大丈夫だろうか?
間違いないだろうか?
本当に達成できるだろうか?
とまだ見ぬ未来に対して、困難さのみを思い、臆病になって居ませんでしょうか。
あなたの人生は、素晴らしいあなただけの人生です。自信を持って、一路前進しましょう。
人間性回復運動は、前に進む勇気と行動力を自分のものにして、一歩一歩と自分の人生を充実させ、完成するために邁進する自分自身の人生行路なのです。
今週のキーワード 『人間性回復運動について語り合いましょう』4.29
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50年前になりますでしょうか、人間性回復運動についてのメルマガを書き出して、
いつの間にか半世紀になります。最初はガリ版で刷り上げて発送していました。
私も7月19日で90歳になります。私の生きてきた人生の半分以上です。
その間、本当にいろいろな体験をして来ました。
今日このようにして元気にして居られるのも、拙いメルマガをお読みいただきご支援下さった方々の叱責激励があったればこそと、感謝の気持ちでいっぱいです。
思えば私は、人とは素晴らしい存在であることをこの人間性回復運動を通じて身をもって教えれてきました。
私は人間性回復運動を通じて、ただ自分の生き方を振り返るだけではなく、他の方々との真剣な関わりの中で、自分の持つ未知の力を体験し、相互の影響の中から生きることの大切さを教えられて来ました。
人間性回復運動は私自身、自分から逃げず真剣に自分に立ち向かい、自分の生き様を構築する場だったと、思っています。
人間性回復運動は、経験も知識もそして年齢も性別も違うお互いが、自分のもてる全てを出し合って、心の底から相手を信頼し「未知の力」を創り出していく場なのだと思っています。
人間性回復運動に於いては、経験とは今起きていることを新たなこととして捉えるだけではなく自ら行動して体験することによって、自らの経験として活かし得ることだと思います。
新たな思考から生じた、新たな体験にチャレンジし、そこから心底納得する人間的な成長を得ることこそ体験から学ぶことだと思います。
人間性回復運動は、あらゆる試練に打ち勝つ自信をもって、自分の人生を切り開いて行くことだと思います。
凝縮されたいろんな試練を乗り越え、真に信頼しあえる友を得、人として生きる喜びを体得していく運動なのです。
人間性回復運動から、お互いが良き師となり良き友となり相互に学び合い、成長していくのです。
人間性回復運動は、過去の自分に囚われることなく、あるがままに行動し感謝し合って今の自分を信じて生きて行くことです。
人間性回復運動は一人の人間として、自分の信じる道を正々堂々と自分らしく生き抜くことです。
5月7日のZOOMトーク会では、人間性回復運動について皆様と話し合い人間性回復運動の更なる展開を期していこうと思っています。多くの方のご参加を期待しお待ちいたして居ります。
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『他人を思いやる心こそ、人の心では!』
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最近、障害を持った自分の子供を、これ以上耐えきれずに殺害に及んだとか、自分の親や妻の介護に疲れ、手を下してしまったという悲惨な悲しい出来事が続いております。
この様な事を耳にするたびに、やりきれない思いが何時までも、私の心を痛めてやみません。
先日出かけたとき、小田急の車中でこんな話を耳にしました。
「世の中な、お前のようにきれいごとばっかり言って、会社に抵抗してみてもどうにもならないよ!今の時代はな、苦しい生活から逃れるためには、親すら殺してしまう様な時代だよ。自分が生きるためにはもっと現実に目を向け、自分が生き残ることを考えなくちゃな!」「人のことなんか考えるより、自分が生きていくためには、人を押しのけてでも生き残れということですか?そんなバカなことがあっていいものなのですか!
私たちは学校でそんなことを学んできたのではありません。
先輩たちは、それで満足しておられるのですか?」
「あまいなあ・・・ 現実を見ろよ!」
それ以上は聞き取れませんでしたが、何という時代なのでしょう。
後輩に、正しく仕事が出来る様に指導育成していくのが、先輩じゃないでしょうか。
私が若いころもにも、会社に対する不平不満はありました。
それらを真剣に聞き、ビジネスマンとしての誇りを教えてくれたのが先輩でした。
先にあげた先輩後輩は、特別なのかも知れませんが何と言うことでしょう。
たとえそれが、後輩を勇気付けるために話していたとしてもその根底にあるものはいったい何なのでしょう。
私には、その様な先輩らしい人物の言動をきくと、憤りを越えた悲しみさえ感じるのです。
障害児の親が、どんな気持ちで子供の命を奪ったのか、老いに苦しむ母親に手を下した子供が、どんな気持ちであったのか、そちらへの思いが強くなります。
勿論どんなことがあったとしても、自ら子供が親に手を下すということは許されることではありません。
ただそのことを当事者の気持ちも考えず、一つの事件としてだけ語る気持ちにはなれません。
そのことを、社会批判的に取り上げるマスコミの、無神経さと人間の苦しみを他人事のように報道することに怒りすら感じます。
人を愛し、人を信じ、お互いが助け合いながら、この人生を精一杯生きていくことこそ、私達人間に与えられた
生きる価値ではないかと私は思います。
相手の気持ちを思いやり、率直に今の自分を語り、相手の気持ちを聴き、共感の中に相手を見ることが出来る
様な生き方を、私達は忘れてはいけないのだと思います。
ブログやツイッターで、無責任な言い合いをして、他人を思いやる心を失っているような今日を、今そのことを
真剣に考えなくてはならないのではないでしょうか!
便利さは、私達から考える力を奪ってしまい、想像する喜びを忘れさせているようです。
物の豊かさは、心の豊かさをどこかに押しやってしまっているようです。
今日、いろいろな事件が起きてしまったとき、その事件の表面を賑々しく言い合う前に、私達は自分自身に問いかけてみる必要があるのではないでしょうか。
本当に心から人を愛していますか?
本当に心から、自分を愛していますか?
本当に心から、この世を愛していますか?
本当に心から、皆を、周りを信じていますか?
私達は、自分ひとりで生きているわけではありません。常に、他の人との関りの中にあるのです。
人に真剣に関わっていく時、私達に求められるのは本当に相手を思う親切心、愛情、そして相手をとことん受け入れていこうとする姿勢だと思います。
人間性回復運動は、そのような関係を創り上げ、本当に心から信頼し合えるお互いの中で、お互いが相互に影響しながら、人として生きていく大きな力を得て成長する、自分自身に向けた自らの運動なのです。
『子供を育てることは自らの成長』2023.4.15
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私の住んでいる所は、平塚市で最も高齢化が進んだところです。
私が40代の時に出来た分譲住宅の団地です。45年住みついていますが、富士山がすぐ目の前の様に見え、春先には小鳥のさえずりで目覚めるような静かなところです。
近所の方も70代から80代の方々が中心です。ところが最近子供たちの姿が見られるようになってきました。
二所帯住宅が建て替えられて、三世代があっちこっちに増えてきたのでしょう。
子供たちの、元気に遊びまわって居る声が聞こえて来ると、何となく微笑ましく感じます。
子供って自分の子供であれ、他人様の子供であれ皆私たちの宝なのです。
私にも孫が居ますが、よく世間では孫は子供以上に可愛いなどと言います。何故なら孫には責任がないからであるとか。その様な事を言う人は、子供を産み育ててきたとは言え、親として失格だと思います。
誰の子であれ、親はその子供たちを天から預かっているのです。
たまたま自分の子供、孫であるかもしれませんが、自分達だけのものじゃないのです。
人間として、立派に育てる様にお預かりしているのです。自分の力だけで、子供は生まれて来たのではないのです。
神というか、私たちには想像も出来ない偉大な力が働きかけ、その力によって私たちは「偉大な宝」を預かっているのです。
他人任せのような気持ちでは、子供は育ちません。親には、育てる責任があるのです。
右も左もわからない真っ白な子供に、生きることの喜びと、正しいこと、美しいこと等求められることを達成する使命感、いろいろなことを学ばせなくてはなりません。
そうしてその子供たちが一人の人間として、自らの責任を果たせるように育成して行くことが、大人としての役割であり、責任であると私は思っています。
最近、校内暴力だとかイジメ等から生じてくる子供たちの自殺という痛ましい報道、に心を痛めている方も多い思います。
このようなことが生じてくる原因を追及することも大切ですが、二度とその様なことが生じて来ないために、私たちが今出来ることは何なのかを考える方がより大切だと思います。
過去を暴き、その人たちを責めたところで問題は解決しません。
問題を論ずることだけでは、「人の子供だからどうでも良いじゃないか」という風潮と何ら変わらない様に思います。
要はその原因を明らかにすることではなく、二度とその様なことが起きない様に行動することです。
若い子供たちを見ていると、駅の改札に向かう階段に座り込み、車内では他の客に構わず場所取りゲームでもしている様に振舞っていることに出会います。
他人に対して、自分達が迷惑をかけている等には無頓着なのか、或いは気づいていないのかもしれません。
そのような時 、だまって見過ごす方がほとんどだと思います。私も以前、その様に見過ごしたこともありました。
ある時、進んでこちらから声をかけました。
「ごめんね。ちょっと皆が迷惑している様だから、そこを少し空けてくれないかな?」と、・・・。
彼らに、彼らが取っている行動が、どの様に他人に映っているかをフィードバックしたのです。
するとかれらは「ああごめんなさい!」と言ってその場を空けてくれました。
こちらも気持ち良く、有難うと応え、彼らも決して嫌な顔もせず「済みませんでした」と微笑み返してくれました。
以前の私だったら恐らく、「ほら、邪魔だ!邪魔だ!どけ!どけ!」 と彼らを怒鳴り、責めたかもしれません。
そうして私は嫌な感じを持って、その場を去ったかも過ぎません。しかしそれでは、彼らには何の気づき等もなかったことでしょう。それ以上に、年配者に対する反発心を更に高めたにすぎないかもしれません。
真に子供に対する、強い関心と愛情を持っていたら、そのような行動はとれないと思います。
彼らに、育って欲しいという気持ちが有ったら、適切な行動がとれたはずです。
他人様の子だからとか、私には関係ない、今の若い子はしょうがない等と第三者的に眺めている限り、私たち大人に課せられた、預かりものを育てるという役割・責任感を、他に転嫁してしまうのではないでしょうか。
子供たちは、知らないのです、気づいて居ないのです。気づけば、自ら変えて行きます。
気づかせることを避け、他人ごとのように眺め、単に最近の若い者はと評価しているだけでは子供たちの成長は期待出来ません。また大人としての責任を放棄してしまっていては、私たち自身の成長も期待できません。
他人に対する積極的な関心、即ち愛情を持ってこそ天からの預かりものを育てていけるのではないでしょうか。
子供を育てるということは、勉強をさせ、習い事をさせ、世間様に 「よく出来るお子さんですね」 と言われることではないと思います。
人間として、自分たちが今ここに生きていることに感謝し、多くの人たちのおかげで今あるのだと言うことを自ら気づかせることであり、より良い社会人として成長していくことをサポートすることだと思います。
人間性回復運動は、私たち自身が、他人に対する心からの関心と愛情をもって関わりあっていくことの大切さを日常の生活の中に活かして、自からの人生をより豊かにし、私たち一人ひとりが成長して行くなのだと思います。
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最近感じるのは、“挑戦する”と言うこが忘れられているように思います。
デヴィ・スカルノさんが、かってテレビで言われていた、「新しい事に挑戦するのは、全く怖くない。私が本当に怖い
のは、挑戦する気持ちがなくなってしまう事です」という言葉が今更のように響いてきます。
もっと自分に、人生に、挑戦することが必要なのではないでしょうか。
人間性回復運動は、自らの成長に挑戦することだと思い行動しています。
『明日に挑戦』 2023.4.8
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最近のTV報道を見聞していると、政治家も評論家もまたインタビュー等を受けている人たちにも共通していることがあります。
それは今どうしたら良いかばかりで、将来の日本を子供たちをそして企業の在り方を論じようとなされないことです。
私たちは今を生きることが大切ですが、今のことだけに目を向けるのではなく5年後10年後を考えてこそ、今があるのではないかと思います。
そうして10年後を目指して、今私たちが何をして行けばいいのかを、はっきりしていけるのではないでしょうか。
今を生きると言うことは、将来を目指し今に全力を集中して生きると言うことです。
今のことばかりを考えて、今を生きて行こうとするなら刹那主義に陥ってしまうのではないでしょうか。
4月を迎え、各地に新人たちのリクルート姿が見受けられるようになりました。
先日、たまたま乗り合わせた電車の中で、新人と先輩社員らしい人の話を聞いてしまいました。
「企業には、いろんなルールがあるのですね。しかしルールは本当に守らなくちゃならないのでしょうか?要は成果でしょう!企業の成果を上げるために、我々は採用されたのでしょう。だったらルールで縛るより、好きなようにやらせて利益を上げさせれば良いんじゃないかな」
「それはそうかもしれないが、先ず我々に何を期待しているのかを、会社側がもっと明確にしなければならないのではないかな」
「それもわかるが、我々の何を認めて採用したのかを知りたいな」
等ともっともなことを言い合っていたが、肝心の自分が何故この企業を選んだのか話は出て来ませんでした。
私には、自分の将来を他人の所為にしているかのようにしか聞こえて来ませんでした。
私たちは戦後のどさくさの中ではありましたが、何とかして今の日本をもっと豊かな国にしよう、二度と戦争などのない平和な世界を目指そう、その為に今、私たちは何をすべきか?と論じ合い、精一杯やってきました。
今日の人は、日頃から立派なことを言い、素晴らしい発言をなされる方が多いように思います。しかし行動が伴っていません。立派なことは言っても、何ら行動しない評論家に過ぎないように思えてなりません。
最近感じるのは、“挑戦する”と言うこが忘れられているように思います。
デヴィ・スカルノさんが、かってテレビで言われていた、「新しい事に挑戦するのは、全く怖くない。私が本当に怖い
のは、挑戦する気持ちがなくなってしまう事です」という言葉が今更のように響いてきます。
もっと自分に、人生に、挑戦することが必要なのではないでしょうか。
人間性回復運動は、自らの成長に挑戦することだと思い行動しています。
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『迷いは進歩の表れです』
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最近、歳の所為にはしたくないが、いろいろと考えることが多くなって来た様に感じています。
と言っても、過去を振り返り、思い悩んでいるのではございません。
人生100年時代とは言われています。そんなに長くない残りの人生で、何が出来るのだろうかと思う、迷いみたいなものです。しかしその迷いが、私にとっては良い刺激になっているようにも思われるのです。
迷いとは決して否定的なものではなく、更に進もうとする時に生じて来る、新しい人生の門出のようにも思えて来るのです。
もしこのような迷いもなく、生きているとすれば何と味気ない人生なのだろうと思われるのです。
迷いこそ人間が成長発展していく時に生てくる、根源にあるもののように思えて来るのです。
決して迷いを、無視しないようにして行きましょう。ただ否定的な迷いはキッパリと捨て去りましょう。
人生を謳歌するための迷いなのですなら大いに歓迎しようではありませんか。
今までの人生で多くのことを学んで来ましたが、余り先の見ず知らずのことを思い考えると本当に迷路に迷い込んでしまうのかもしれません。
大きな夢も大切ですが、手の届きそうな夢のことも真剣に考えることも大切だと思います。
更に大切なのは、その考えにとどまることなく行動するだと思います。
その様に自分の進むべき方向を、しっかりと意識して着実に実行して行けば決してぶれることなどないはずです。
ぶれるのは、自分自身に自信がないときだと思います。
自信とは、行動の積み重ねから生じて来るものだと思います。最初から、自信のある人など居ません。
もし最初から自信たっぷりだなどという人は、自惚れて居るに過ぎないと思います。
自信とは、行動の結果無意識のうちに身に着くものです。するとその自信が、もう一歩チャレンジする勇気を与えてくれるのです。
それが進歩だと思います。迷いに、決断するというのは別に目新しいことをしろと言うのではありません。
誰でもできる様な当たり前のことを、ヤルと決断することです。
ただ通り一遍なことと甘んずるのではなく、とことん当たり前のことを成し遂げることです。
私の友人の一人に、素晴らしく挨拶の上手な人が居ます。彼は目標達成の達人です。
彼の周りにはいつも多くの人が集まってきます。特別に変わったことをするわけじゃないのですが、彼の素晴らしい挨拶と行動力に魅せられて集まってくるのだと思います。
当たり前の彼ですが、その当たり前が彼の彼らしいところだと思います。
不思議と彼の目標は、皆の支持を得て達成されているのです.
世の中には、素晴らしいことを口にして恰も人間離れのごとく思わせる人もいます。しかし凡人の私は、凡人らしく当たり前のことを精一杯やっていこうと思っています。
そこから非凡な力が生じてくるのでと信じて、その時こそ迷わず行動していきま